「天に上げられた主と地上の弟子たち」 (マルコ 第91回・最終回)

マルコによる福音書16章19-20節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

マルコによる福音書の連続講解説教の最終回として本日は、後代に加筆されたと考えられる「結び 二」の16章19~20節からみ言葉を聞いて、わたしちにとっても一区切りとしたいと思います。

ここに記されていることの第一は、復活された主イエス・キリストが、地上から天に上げられた、ということです。使徒言行録によると復活の主が地上におられたのは40日間でした(1:3)。その間に主は弟子たちを相手に復活の事実を繰り返し明らかに示し、彼らが確信をもって復活の証人としての働きをするように教育し、訓練されました。それから神の時が満ちて、主は天に上げられたのです。「天」とはどこにあるのでしょうか。それは空の上とか宇宙のかなたではありません。詩編115編3節に「わたしたちの神は天にいます」と謳われていますように、神がおられる場所が天です。神は生きておられる存在です。そうであれば、神がおられる場所もあるはずです。それを聖書は「天」と言い表しています。

さらに天に上げられた主は、「神の右の座」に着かれました。ここでも場所を表す言葉が用いられています。これも空間的な場所のことではなく、権威や働きを表す言葉として理解すべきものです。主は最高法院で尋問を受けられたとき、「今から後、人の子は全能の神の右に座る」と自ら告げられました(ルカ27:69)。それは天において神と等しい力と権威をもって、世界を治め、教会を導き、さらに罪人の救いのための執り成しの働きをするとの宣言です。「執り成し」の働きとは、主イエスが神の右におられて、父なる神に祈り神に近づき神に救いを求めている人々のために仲立ちをしてくださることです。それによって人々は神に結びつき、神の国に招き入れられるものとなります。わたしたちの祈りも、この主の執り成しによって神に届けられ、わたしたちは神との豊かな交わりの中で生きる者とされます。

こうして主イエスが地上から離れて天に上げられることは、わたしたち人間にとって決して不利益なことではなくて、神の救いの歴史が新しい段階に進んだことを示しています。わたしたちはそれによって新たな恵みを受けるものとされます。

一方、地上に残された弟子たちはその後どうしたでしょうか。彼らは「出かけて行って、至るところで宣教した」(20)と記されています。弟子たちは主が地上におられないということで気力を失ってしまうことなく、復活の主の「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(16:15)の御委託に応えて、主の復活を語る福音宣教に励んでいます。そうすることができるのも、彼らが復活の主の訓練によって復活信仰を強められたからです。さらに天にある主はその後も彼らと共に働いて、彼らの言葉が真実であること、すなわち神からの言葉であることを明らかにしてくださっています。天にある主が地上の弟子たちと共にもいてくださることによって、彼らの宣教活動は力あるもの、真実なものとされました。

復活の主は今も霊においてわたしたちと共に働いてくださり、、信じる者を生み出し、教会を造り出してくださっています。ときにわたしたちは、キリスト者が少数であることを嘆き、自分たちの力の弱さをかこち、実りの生じないことによって諦めを覚えたりすることがあります。しかしそのようなわたしたちのかたわらに復活の主がいてくださって、わたしたちを励まし、力づけてくださっています。主なる神がヨシュアに語られた言葉を思い出しましょう。「わたしは…あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ」(ヨシュア記1:5~6)。その主なる神の御声がわたしたちにも響いてきます。

「全世界に行って福音を宣べ伝えよ」

マルコによる福音書16章14-18節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

復活された主イエスは、14節以下によれば、11人の弟子たちが食事をしているところにご自身の姿を現されました。そしていきなり彼らの「不信仰とかたくなな心とをおとがめになった」のです。それは、彼らが「復活された主イエスを見た人々の言うことを信じなかったからである」と説明されています。ここで注目させられることは、主は弟子たちが主イエスを裏切ったことや主の前から逃げてしまったことについてとがめておられるのではなくて、彼らが主の復活の証言を信じようとしなかったことをいさめておられることです。主は生前に「わたしは捕らえられ、十字架につけられて殺される。そして墓に葬られ、三日目によみがえる」ということを、三度にわたって弟子たちに告げられました。しかし弟子たちはその主のお言葉と、今復活の主にお会いした人たちが証言する言葉とを結びつけて考えることが出来ないでいます。それは、彼らが主のお言葉とその内容とを真剣に聞いていなかったことを表すものです。主はそのことを彼らの不信仰と言っておられます。事柄を突き詰めて考えようとしない彼らの信仰における鈍感さやいい加減さが、主のおとがめを受けています。

これらによって示されることは、主の復活後は「聞いて信じる」新しい時が始まったということです。先に復活の主に出会って信じる者となった人の真実な証言を「聞いて信じる」という時が始まっているのです。弟子たちだけでなく、わたしたちにとっても、聖書に基づいて語られる御言葉の説教、そして信じて生きている人々の真実の証しの言葉を聞くことによって、わたしたちの信仰は始まる、ということです。そのことについては、先週の礼拝においても確認させられたことでした。

主イエスは弟子たちの不信仰をとがめつつ、彼らは必ず信じる者に変えられることを確信しておられます。だからこそ、彼らに大切な務めを委託されるのです。それは、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15)の派遣命令です。主はかつて12弟子たちを集めて訓練し、彼らをユダヤの全土に派遣されました。復活の主は、今度は全世界に出て行って福音を宣べ伝えることを命じておられます。新しい時代が始まっています。このようにして福音が語られ聞かれたそれぞれの場所で、神の名によって集められる教会が形成されて行くのです。この派遣命令は今も続いていることを忘れないようにしましょう。

福音宣教の目的と実りは、洗礼を受ける者が起こされることです。その洗礼によって、人は神の国の一員とされます。ペンテコステの日、ペトロたちの説教によって心を揺さぶられた人々は、次のように問いかけました。「兄弟たち、わたしたちはどうしたら良いのでしょうか」。それに対してペトロは答えました。「悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」(使徒2:38)。福音は、受け入れても良いし、拒んでも良いという性格のものではありません。それは人間の永遠にわたる生と死に関わる事柄です。そして人は福音を聞くことから洗礼による新しい命へと導かれて行きます。だからこそ教会は、復活の福音を存在をかけて人々に語り伝えて行くのです。

主は弟子たちに福音宣教には奇跡的な業が伴うことがあることを告げておられます(17―18節)。しかし今の時代は、それに重きが置かれる時代ではありません。口を通して語られる御言葉、信仰者の生き方を通して証しされる福音が重んじられる時代です。それゆえわたしたちは真摯に礼拝を捧げることによって宣教のための言葉が与えられることを覚えて、それに全力を注ぎたいものです。

「復活の主とマグダラのマリア」(復活節礼拝)

マルコによる福音書16章9-13節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

復活された主イエスは、「まず」(9)マグダラのマリアにご自身のお姿を現されました。このマリアは以前、主によって七つの悪霊を追い出していただいて救いを与えられた女性です。それ以来彼女の主イエスに従う新しい生が始まりました。彼女は主に従い、主に仕えて、宣教のために働く者となりました。ガリラヤからエルサレムまでの旅を共にし、主の十字架のもとにたたずんでその死を見届け、葬りにも立ち合いました。そして週の初めの日の早朝に主の遺体に香料を塗るために墓に出かけて行きました。復活の主は、そのマリアに誰よりも先にご自身を現してくださったのです。主を慕い、主を愛し、主を信じている彼女は、主イエス抜きにはもはや生きることが出来なくなっていました。そのようなマリアに主もまた応えてくださって、新たな出会いの時を設けてくださったのです。

主は伝道活動の中で、「強い」と自分自身を考えている者よりも、自分の弱さを知っている者を身元にお招きになりました。主は、自分を「義人」と見ている者よりも、罪人であるとの自覚を持って胸を打ちつつ生きる者の方に近づいて行かれました。彼らはそのようにして主によって受け入れられ、彼らもまた主を受け入れる者とされました。その主は復活後も同じように、弱い器であるマリアにまず近づいてくださって、彼女の悲しみと絶望とを取り除いてくださっています。使徒パウロの「わたしは弱いときにこそ強い」(コリント二、12:10)という言葉を思い出します。わたしたちの弱い所にこそ主は宿ってくださるのです。

主はマリアに何を語り、また何を託されたのでしょうか。それについては聖書には何も書かれていませんが、マリアの行動から推測することが出来ます。彼女は主との出会いの後、「イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた」(10)のです。つまり彼女は、主は死からよみがえられたということを人々に知らせる働きを始めています。それは別の言葉で言えば、<復活の証人>としての働きです。それが主によって彼女に託された務めでした。

マリアから主イエスのよみがえりの事実を知らされた人々は、それを信じようとはしませんでした。このあと復活の主と出会った二人の弟子たちが、そのことを同じ人々に伝えても、彼らはこれも信じようとはしませんでした。この人たちは主イエスの直弟子たちやガリラヤから主に従って来た婦人たちであり、また他にも主と共に行動してきた人々もいたことでしょう。彼らは生前の主から、三度にわたってご自身の十字架の死と葬りと三日後のよみがえりについて聞かされていた人々でした。しかし彼らは、主の明確な予告の言葉と、復活の主に出会ったマリアや二人の弟子たちの証しとを結びつけることが出来ないでいます。「信じなかった」という言葉が繰り返されていることの中に、復活を信じることの困難さが表されています。

それでは今日、復活の主に直接出会うことの出来ないわたしたちは、どのようにして復活を信じる者とされるのでしょうか。それは復活の主との特別な出会いによります。主は今は「別の姿」(12)でわたしたちに出会ってくださいます。それは礼拝において語られる御言葉としての説教と、見える神の言葉としての聖礼典によってです。復活の主は今日、それらによってわたしたちに語りかけてくださっています。その言葉を主ご自身のものとして聞くことによって、わたしたちの信仰は始まります(ロマ10:17参照)。聖霊の働きを祈り求めつつ御言葉に耳を傾け続けるとき、そこに復活の主との確かな出会いが必ず与えられるはずです。

「主イエスの墓への葬り」

マルコによる福音書15章42-47節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

本日のテキストには、特別なかたちの葬りが記されています。その特別さとは、第一に十字架上で処刑された人の葬りであるということです。第二は、身内の者がだれ一人として連なっていない葬りであるということです。それは、わたしたちの救い主イエス・キリストの葬りです。主イエスは金曜日の朝9時頃に十字架につけられました(25)。そしてその日の午後3時頃に息を引き取られました(34、37)。安息日が始まる午後6時頃の日没まで残された時間はあまりありません。このまま放っておくと、安息日の一日は何もすることが出来ず、主イエスの遺体は一日中、十字架上でさらしものになったままです。十字架のもとにいた女性たちは、どうしたら良いのかわからないまま思い悩んでいたかも知れません。

そのときひとりの人が現れて、主イエスの遺体を十字架から降ろさせてほしいと総督ピラトに願い出たのです。その人はアリマタヤ出身のヨセフという人でした。彼について聖書は多くを語っていませんが、まとめてみると次のような人物像が浮かび上がってきます。彼はエルサレム議会の身分の高い議員であり(43)、金持ちでした(マタイ27:57)。またイエスを死刑にするという議会の判決に対しては、同意していませんでした(ルカ23:51)。彼は「神の国を待ち望んでいた」(43)のですが、その思いを勇気を出して主イエスに告白することが出来ないまま、主の死を迎えてしまいました。しかし、今彼は「勇気を出して」(43)、ピラトに主イエスの遺体を引き渡してほしいと願い出たのです。誰も考えなかったことが今起こっています。ピラトはヨセフの願い出を聞き入れ、主の遺体をヨセフに「下げ渡した」のです(45)。ヨセフは主の遺体を白い亜麻布で巻いて、「自分の新しい墓」(マタイ27:60)に納めました。十字架の主を見たあの百人隊長は「この人は神の子だった」との信仰へと導かれ、今は、ヨセフが主の遺体を引き取り、葬るという勇気を与えられました。

ある人はヨセフは勇気を出すのが遅すぎた、と言います。エルサレム議会での裁判の時にこそ彼は勇気を出すべきだったと言うのです。しかしそうすることが出来なかった彼を誰が責めることができるでしょうか。今こそ、勇気を出すべき時が彼に来たのです。主は彼の勇気によって墓に葬られました。使徒信条の「(死んで)葬られ」の背後にヨセフの勇気があったことをわたしたちは忘れてはなりません。わたしたちにもこの勇気が求められることがあるのです。主はこのように遅くしか立ち上がることが出来なかった者を、どのようにご覧になるのでしょうか。「遅い」と言って責められるでしょうか。そういうことはありません。主の前における決断に遅すぎることはないのです。「立ち上がれ」との御声が響いてきたその時こそ、その人にとっての主に従う時が来たのです。わたしたちにとっても「勇気を出す」機会はこれまでもあったでしょうし、きっとこれからもあるに違いありません。

主の遺体を納めた墓の前には二人の婦人がいました。マグダラのマリアとヨセの母マリアです。彼女たちは愛する主イエスを失った悲しみに包まれているのですが、同時に安息日が明けたらいち早くこの墓に来て、主の遺体に香料を塗ろうと考えていたのです。今彼女たちが行うことが出来るのは、それだけでした。しかしそうした絶望の中にある彼女たちでしたが、誰よりも先に主の復活の出来事に出会い、復活の証人とされたのです。主への愛に生きる者には、その人にふさわしい務めが主から与えられることを教えられます。

「わが神、なぜお見捨てになったのですか」

マルコによる福音書15章33-41節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

十字架上の主イエスは息を引き取られる前に、アラム語で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。そしてこの言葉は、詩編22編2節の句を主が口にされたものとして知られています。主はなぜ、神への絶望を表すようなこの句を発せられたのでしょうか。二通りの理解の仕方があります。

一つは、詩編22編は初めの部分こそ神から見捨てられたことによる神への絶望の叫びであるが、それが歌われていく中で、ついに神への感謝と賛美に変わっていくことに注目しようとするものです。そして主の十字架上のこの叫び声は、詩編22編全体を口にしようとされたものであって、神賛美こそが主の目的であった、という理解が生まれてきます。したがってこの場合、主の叫びは絶望や悲惨さよりも、希望の言葉として受け止めるべきものと考えられます。それが一つです。

他の理解の仕方は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という一句のみに注目するものです。神の子イエスはまさしく神から見捨てられた者のみが味わう絶望と恐れの中に叩き込まれて、そこからの叫び声を発しておられるのだ、ということです。すべての罪人の代表として、あるいはその身代わりとして神の前に立たれた御子イエスは、罪人が受けるべき神による裁きと断罪とをその身に受けておられるのです。主は「わたしは人から見捨てられた」とは言わずに、「神よ、なぜあなたはわたしをお見捨てになったのですか」と言っておられます。本来ならば、わたしたち罪人があげるべき叫びを、主はわたしたちに代わってあげておられるのです。なぜ御子イエスは、父なる神によってそのような扱いをお受けになったのでしょうか。それは罪人たちが、これと同じことを味わうことがないためです。御子がすべての罪人に代わってその悲惨さを身に受けられることによって、他の罪人の上に襲う絶望と悲惨を取り除いてくださっているのです。そのための十字架でした。そういう理解も成り立ちます。それゆえに主の十字架上の叫びはわたしたちに代わる叫びであり、それが救いの基となるのです。

そのことを示す一つの出来事が起こりました。それは異邦人の百人隊長が、十字架上の主を見つめることによって、次のような言葉を発したことです。「本当に、この人は神の子だった」(39)。これはいわば百人隊長の主イエスに対する信仰告白と言うべきものです。彼は、主イエスに起こった一連の出来事を見る中で、この信仰へと導かれて行きました。『讃美歌』(54年版)139番4節に次のように歌われています。「十字架のうえより/さしくるひかり/ふむべき道をば/照らしておしう」。百人隊長はまさしく十字架によって、これからの歩むべき道を示されました。

わたしたちは、十字架の上で苦痛を味わわれて死へと向かわれた主イエスを見つめるとき、わたしたちが遭遇する如何なる苦痛の中にも主がいてくださって、わたしたちを助けてくださるとの確信と慰めを与えられます。ヘブライ人への手紙2章18節に次のように記されているとおりです。「事実、(主)御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」。一見、恐ろしく慰めなどないように思われる十字架上の主イエスの姿は、わたしたちにとって大きな慰めと希望が満ち満ちている所でもあるのです。

「十字架につけられる主イエス」

マルコによる福音書15章16-32節(その2)

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスの十字架による処刑の時がついに来ました。主はピラトの官邸から十字架の処刑場であるゴルゴタの丘まで、自ら十字架をかついで行かなければませんでした。主は肩に食い込む十字架の重みと痛みに耐えながら歩いて行かれます。その十字架の重さは、人間の罪の重さを表しているものであるのかも知れません。この十字架への道が後世に<ヴィア・ドロロサ>=「悲しみの道」と呼ばれるようになりました。その途中で、兵士たちは主イエスの十字架を他者に担がせました。その人は、主とは直接何の関係もない北アフリカのキレネ人シモンという人でした。彼はもともとユダヤ人で、何らかの理由でキレネに移住していたのでしょう。彼はユダヤの大きな祭りである過越祭に参加するためにエルサレムにやって来て、たまたま十字架を担う主のそばを通りかかったときに、主に代わってその十字架を担う者とされたのです。それは彼にとっては屈辱的なことであったはずです。

しかしこのことはその時だけのこととして終わらずに、彼の人生の大きな転換点となりました。それは彼がこの後しばらくして、主イエスを信じる者になったということが起こったからです。聖書からそれが示されます。21節には彼の息子の「アレクサンドロとルフォス」の名が挙げられています。わざわざその名が挙げられているのは、マルコによる福音書が書かれた当時、この二人は既にキリスト者となっていて、多くのキリスト者仲間に知られていたことを示しています。またローマの信徒への手紙では、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく」(16章13節)とのパウロの言葉が記されています。ルフォスの母すなわちシモンの妻も、信仰者となっています。思いがけなく襲った苦難や災い、すなわち<強いられた十字架>は恵みに変わり、その人を主イエスとの出会いに導くことがあるということの典型的な例を、シモンに見ることが出来ます。

ゴルゴタの丘に着いた主は、すぐに十字架につけられました。死にゆく人のそばで賭け事をする兵士たちがいました。これは人間の醜悪さと鈍感さとを表しているものです。主の十字架には、「ユダヤ人の王」という罪状書きが打ち付けられています(26節)。それはもちろん主の死刑を最終的に判断した総督ピラトが、痛烈な皮肉を込めて書かせたものです。しかしこの侮蔑をこめた人間の業の中にも、神の真実は示されています。主イエスはまさしく、ユダヤ人の王であり、そして真の意味で世界の唯一の王であられます。わたしたちはそれを読みとることが出来ます。

十字架上の主に対してそばを通りかかった人や祭司長や律法学者、さらに主と共に十字架につけられている者たちがののしりの声を浴びせました。その内容の中心は「イエスよ、十字架から降りて自分を救ってみよ。そうすれば信じてやろう」というものです。しかし主は十字架から降りることはなさいませんでした。ご自身が十字架で死ぬことによって、罪人の罪が滅ぼされることを願って死に向かわれました。それによって主イエスのわたしたちに対する深い愛が示され、わたしたちの罪の赦しのための神への執り成しの業が成し遂げられました。次の言葉はわたしたちの胸を打ちます。「イエスが十字架から降りて来なかったので、わたしたちはイエスを救い主と信じるのだ」(救世軍の創設者ブース大将)。そうであるならばわたしたちも主に服従する中で担わなければならない自分の十字架を降ろさずに、それを担い続けることこそが信仰に生きることであることを教えられます。

「主イエスが受けた辱しめ」

マルコによる福音書15章16~32節(その1)

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスは敵対者たちによって捕らえられ、ユダヤの最高法院で死刑の判決を受けた後、死刑執行の最終的な決定権を持つ総督ピラトに引き渡されました。ピラトは恐らく最初は総督官邸の外で、主イエスに対する尋問を行い、人々にイエスとバラバのどちらを釈放するかを問うたりしました。そして結局ピラトは、主イエスの十字架刑を確定したのです。その後、主は官邸の中に引き入れられて、そこで十字架に処せられる準備がなされました。そのときの様子が、15章16~20節に描写されています。

官邸内にいる兵士たちは、ローマ兵たちです。彼らにとって何の被害を受けたこともなく、敵対関係にあったわけでもないにもかかわらず、憎しみをこめてさまざまな屈辱を主イエスに加えています。主を王に見立てて紫の服を着せたり、茨の冠をかぶらせたりしています。さらに肉体的な暴力を加え、唾をはきかけ、ひざまずいて拝んでいます。彼らはある人に言わせれば、「王さまごっこ」をしています。彼らは何の痛みも感じないまま主をなぶり者にしました。「聖書のこの部分を墨で黒々と塗りつぶしたくなる」と述べる人がいるくらい、心を痛める場面が描写されています。

しかし、わたしたちは目を見開いて、この現実を見なければなりません。それは一つにはわたしたち人間の愚かさや罪深さを知るためであり、またもう一つは主イエスがわたしたちのために、どれほどの屈辱を耐えられたかを知るためです。この惨めな主イエスの姿の中に、わたしたちはかえって、わたしたちの罪をその背に担って十字架の上での裁きを受けられた真の救い主を見ることが求められています。このように人間の過ちや愚かさから神の真理が輝き出ることがあるのです。そして主の身に起こったこのことはまた、イザヤ書の次の「主の僕」の預言が成就したことでもあることを教えられます。

50章6節「(わたしは)打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」。

50章7節「主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と」。

そのときの主イエスの祈りが、ルカによる福音書23章34節に次のように記されています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。御自身の死を前にしてもなお罪人のために祈られる主イエスは、今は十字架の死の後、復活して、天に昇って、神の右におられ、罪人の悔い改めと赦しのために執り成しの祈りをささげ続けてくださっているに違いありません。この主イエスの祈りによって、わたしたちも支えられており、神のもとに留まり続けることが出来ています。

この主の愛にお応えする道は、生涯にわたってわたしたちが自分の十字架を背負って、主への服従に生きること以外にありません。そしてわたしたちの生涯を、主を嘲るのではなくて、主を賛美するものとして貫くことが出来るように祈りたいものです。

「ピラトによる尋問」

マルコによる福音書15章1~5節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

ユダヤの最高法院は、主イエスを「死刑にすべきだと決議した」(64)のですが、主の身柄を総督ピラトに引き渡しています。それは最高法院で死刑の判決を下しても、それを執行する権限がなかったからです。最終的には総督ピラトの判決と許可が必要でした。ピラトは当時ユダヤの国を支配していたローマ帝国から遣わされた役人で、ユダヤにおける最高責任者でした。最高法院がピラトに主イエスの罪状として示したのが、「イエスはユダヤ人の王として自称している者」ということでした。そのためピラトは主に対して「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問しています。宗教的な事柄に関する罪状であったならば、彼はあまり関心を示さなかったかも知れません。しかしユダヤを治めることが最大の務めであるピラトにとって、政治的なことは無視することが出来ません。ユダヤに新しい王が現れて、ローマに抵抗するなどということが起これば、大変なことになります。そのためにピラトは、イエスがユダヤの王なのかどうかを第一に問うているのです。しかしその問いはなんとなく緊張感や危機感を伴っていないように感じられます。「このみすぼらしい男がユダヤの王であるはずがない。でも訴えられているので試しに尋ねてみよう」といった程度の嘲りや侮蔑の思いを込めた軽い問いであると言ってよいでしょう。

主はそれに対してどのように答えられたでしょうか。「それは、あなたが言っていることです」が主のお答えでした。これはどういう意味でしょうか。口語訳聖書では「そのとおりである」と訳されていましたので、主は問いかけに肯定的に答えておられると考えられます。しかし今わたしたちが用いている新共同訳聖書の訳はそれとは違って「それはあなたが言っていることです」と多少謎めいた訳になっています。これは少し分かりにくいものですが、問いに対しての否定的な意味合いの強い答えのように響きます。その場合は、人々が主イエスのことを、ローマに抵抗する王であるかのように吹聴している、そしてもしピラトがそれを信じているようならそれは間違っている、という主張になります。主は人々が考え、訴えているような政治的・軍事的王などではないと明言しておられるのです。わたしたちはそのように受け取りましょう。

このような問答を前にしてわたしたちも問われています。つまり、他の人がどのように言おうとも、この「わたし」はナザレのイエスをどういうお方として信じるか、が問われています。その問いに対してわたしたちは自己の存在をかけて、真実に告白しなければなりません。

ピラトはこの裁判をこのあとどう進めて行くのでしょうか。結局彼はこの裁判に決着をつけて主の死刑を決定しました。彼はイエスは無罪だと確信していましたが、主を赦すことによって人々が騒ぎ立てたり、ピラトに反逆したりすることを恐れて、最高法院の決定通りにしました。それによって国家の代表が、神の子を死に引き渡すという大きな罪を犯しています。キリスト教会はそのことを忘れないように、また国家に対する<見張りの務め>と執り成しの祈りを続けるために、使徒信条の中にピラトの名を残しました、「主はポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ」と。ピラトの判断は個人的なことにも結び付きます。それはピラトのように人を恐れるのではなく、神を畏れる生こそ、神の前に義とされるということです。

「イエスを知らないと言うペトロ」

マルコによる福音書14章66~72節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスは最後の晩餐のあとゲツセマネに向かう途中で、弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われ、特にペトロに対しては「あなたは三度わたしを知らないと言う」と告げられました。第一のことは主が捕らえられたときに弟子たちが皆逃げ出したことによって現実のこととなりました(50)。そして第二のことが現実のこととなるのが今日の出来事です。

大祭司の屋敷の中庭に忍び込んだペトロでしたが(54)、そこにいた人々によって不審がられました。それは女中からは二度にわたって、そしてそこに居合わせた人からは一度、「お前はあのナザレのイエスの仲間であろう」と問われたことの中に表されています。ペトロはその都度、自分と主イエスとの関係を否定しています。三度目の問いに対しては、「そんな人は知らない、もし関係があるとすれば何と呪われたことか」と、呪いの言葉さえはきながら、主イエスを冷たく突き放す言葉を口にしています。そのとき、主が先に予告しておられたように鶏が二度目に鳴きました。そしてペトロは、「鶏が二度鳴く前に三度わたしを知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、そのとおりになったことを知らされて激しく泣き出しています。

ペトロが先に「わたしは主を知らないなどとは決して言わない」と力強く誓ったことは、どうしてこのようにいとも簡単に破られてしまったのでしょうか。きっとペトロは法廷とか権威者の前に立たされて主イエスとの関係を問われたときには、決して自分は主を否定しない、いや逆にはっきりと、自分は主の弟子であるということを宣言しようと考えていたのでしょう。ところが主イエスとの関係を問われる場とか機会は、思いがけないかたちでやって来ました。大祭司の屋敷の中庭での何気ない会話の中で、彼は主との関係を問われたのです。そのとき彼はそれを否定することは何でもないことだと考えたに違いありません。問いかける者たちに対しても、まともに答える必要のない相手と軽く考えたのです。そこに彼の錯覚と過ちがありました。イエス・キリストをわが主として告白する場は、大掛かりなかたちでやって来るだけではなく、日常生活の只中でそれはやって来ます。生活の場がキリスト告白の場であり、日常が主イエスを証しする時なのです。ペトロはそのことに思いを向けることができませんでした。そのため彼への問いかけを軽く受け流してしまいました。

ところで、彼の流した涙はどのような内容の涙だったのでしょうか。一つは、主を知らないと言ってしまった自分の軽さ、不真実、そして主への裏切りなどを思い知らされて流した悔恨の涙であったに違いありません。さらに考えを深めると、このように主を知らないと言う過ちをペトロが犯すことを主が先にご存じであられたにもかかわらず、彼を愛し続けられる主の赦しの慈しみと愛を知らされての涙である、ということを思わされます。ペトロはこのような辛い体験を通してしか、主の愛を真に知ることができないことを主はとっくにご存じでした。だからこそこのような体験を主はペトロに与えておられるのです。それゆえいま流しているペトロの涙は、彼の再出発の機会とされるのです。罪を責めるよりもそれを赦して再出発の機会とされる主の深い愛によって、わたしたちも生かされてきたことを教えられる場面です。

「主イエスへの死刑判決」

マルコによる福音書14章53~65節(その2)

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスに対する裁判が進められていますが、議員たちから決め手となる証言が得られないでいます。そこで裁判長である大祭司が自ら主イエスに尋問しています。それは「お前はほむべき方の子、メシアなのか」というものでした。「ほむべき方」というのは、天の父なる神のことであり、「メシア」とは旧約聖書の時代からユダヤの人々が待ち望んでいた救い主のことです。大祭司は、無言を貫いて来た主イエスであっても、この問いには答えざるを得ないに違いないという思いを込めて尋問しています。その問いは信じようとする思いから出たものではなく、嘲りや罠が秘められているものでした。

この尋問に対して主は初めて口を開かれます。これは主にとって沈黙することを許されない問いであり、またすべての人が主ご自身からその答え聞くべき主の自己宣言を求める問いかけです。主はその問いを避けられません。次のように答えられました。「そうです」(62)。口語訳聖書では、「わたしがそれである」と訳されていました。大祭司の問いかけをそのまま肯定しておられるのです。そこには一点の曇りもありません。それにつ付け加えて主は、旧約聖書ダニエル書7章における終わりのときの「人の子」の来臨の預言を引用して、ご自身においてそれが成就している、とも告げておられます。この「人の子」の来臨の預言も、ユダヤの人々にとってはよく知られていたもので、彼らが待ち望んでいたことでした。主はそれによっても自己を宣言しておられます。

主イエスに「あなたは神の子ですか」と問い、「メシアですか」と問う者は、「そうである」との答えが主から返ってきたとき、それに従う者でなければなりません。主に問う者は、与えられる主からの答えに沿った生き方をするとの決断をもって問わなければなりません。いい加減な問いと応答は、主の前では許されないのです。

大祭司はどうしたでしょうか。彼は主イエスの答えを、主イエスが何者であるかを示す決定的な証言としては受け取らずに、逆に決定的な神に対する冒涜の言葉として受け取りました(64)。そしてこれ以上の証言を議員たちに求めず、主に対する判決のみを問いました。そして議員たちの一斉の「死刑だ」との叫びによって、主イエスに対して死刑の判決が下されたのです。大祭司の狙い通りの筋書きでした。その後人々は、主をなぶりものにしました。神を冒涜することが死に値するのであれば、今、神の子イエスを辱めている人々もそれによって神を冒涜していることになるのですから、彼らも死に値するものとなるということです。しかし悲しいことに、彼らはそのことに全く気が付いていません。人間の罪の闇の深さを思わされます。そのような罪人たちのために、主はその罪を負って十字架につけられるのです。

わたしたちは、不当な裁判の席においてではありますが、主の口から、ご自身が何者であるかの証言の言葉を聞くことが許されました。わたしたちにとっても主イエスに関してこれ以上の証言は必要はありません。あとは、それを聞いたわたしたちの応答が求められるだけです。「立て、行こう」の応答のみがふさわしいものであることを思わされます。