主日礼拝 2023.06.04

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編16篇1~4節 (旧約p845)
讃美歌6 われらしゅを
祈祷
聖書出エジプト記19章3~8a節 (旧約p124)
ルカによる福音書10章17~24節 (新約p126)
信仰告白使徒信条
讃美歌187 しゅよいのちの
説教「私はあなたを待っています」
神学生 海東  強
祈祷
讃美歌3365 わがしゅイエスよ
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄540 みめぐみあふるる
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

主日礼拝 2023.05.28

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編15篇1~5節 (旧約p845)
讃美歌9 ちからのしゅを
祈祷
聖書ペトロの手紙一1章3~5節 (新約p428)
信仰告白使徒信条
讃美歌352 あめなるよろこび
説教「生き生きとした希望」
福岡女学院 牧師 徐 亦猛徐
祈祷
讃美歌228 ガリラヤのかぜ
聖餐式
讃美歌202 くすしきみすがた
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
祝祷
後奏

主日礼拝 2023.05.21

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編14篇4~6節 (旧約p844)
讃美歌6 われらしゅを
祈祷
聖書ダニエル書7章13~14節 (旧約p1393)
マタイによる福音書28章16~20節 (新約p60)
信仰告白使徒信条
讃美歌198 ちちみこみたまの
説教「いつもあなたがたと共にいる」 神学生 海東 強
祈祷
讃美歌166 イエスきみは
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

主日礼拝 2023.05.14

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編13編6節 (旧約p844)
讃美歌19 みこえきくとて
祈祷
聖書ダニエル書6章10~23節 (旧約p1390)
ルカによる福音書7章1~10節 (新約 p.114)
信仰告白使徒信条
讃美歌299 うきよのさかえは
説教「信仰と謙遜」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌419 しゅイエスにありては
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.04.30

開会     10時15分
司会    十時やよい
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編11編7節 (旧約p843)
讃美歌12 みめぐみゆたけき
祈祷
聖書出エジプト記16章4~16節 (旧約p119)
ヨハネによる福音書6章34~40節 (新約p175)
信仰告白使徒信条
讃美歌187 しゅよいのちの
説教「『永遠の命』に生きる」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌225 すべてのひとに
聖餐式
讃美歌
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「迫害者から伝道者へ」

使徒言行録9章19b-31節

教師・久野 牧

サウロは、ダマスコで復活の主との出会いによって洗礼を受けてキリスト者となりました。彼は数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいました。この数日間はこれからの生き方を神に問う「祈りの時」という意味を持っていました。彼はダマスコの会堂で、主イエスは神の子であり、唯一の救い主であることを宣べ伝えました。それが復活の主がお決めになった彼の新しい生き方だったのです。こうして彼は、「かなりの日数」(23節)にわたって、ダマスコでの宣教活動に力強く励みました。その間の働きが極めて熱心であったことは、その働きによってユダヤ人がうろたえたこと(22節)、さらにユダヤ人がサウロの殺害計画を立てるに至ったこと(24節)などから推しはかることができます。迫害者サウロが今は逆にキリストの宣教者となったことは、多くのユダヤ人にとっては到底許すことの出来ない彼の裏切り行為であったのです。サウロはキリスト者の命を狙う立場から、今は彼自身が自分の命を狙われる立場に変わってしまいました。

サウロに対する殺害計画を知った彼の弟子たちは、彼を連れ出して逃がしました。ダマスコを出たサウロは、その後エルサレムに帰りました(26節以下)。そこで彼はユダヤ人の二つのグループと接触します。その一つは、キリスト者の集団であって、その中心には使徒たちがいました。もう一つの集団はキリスト者に敵対している多くのユダヤ人たちです。それぞれの対面はどのようになったでしょうか。

サウロは、まずエルサレムにいるキリストの弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、初めは拒否的な反応を受けました(26節)。それは当然のことです。彼はエルサレムにいた時もダマスコでもキリスト者を迫害していた人物です。そのサウロが、これからは福音の宣教に仕えるので仲間に入れて欲しいと願ったところで、すぐにそのことが他の弟子たちに受け入れられるはずはありません。そうした中でサウロがエルサレムのキリスト者たちに受け入れられるために働いた人物がバルナバです。彼はサウロとキリスト者たち、特に使徒たちのとの間に入って、サウロの身に起こったことや、彼が神によって命じられて宣教の業に携わっていることを説明しました。それによってサウロは使徒たちに受け入れられることになりました。今新たな宣教の展開のためにバルナバという一人の器が神によって用いられています。もう一つの集団であるキリストを信じないユダヤ人たちへの人たちへの宣教はうまく行かず、彼らによってサウロ殺害計画が立てられたために、サウロは他の兄弟たちの助けを借りて、今度はエルサレムを離れることになりました。

こうした困難や危機的状況にもかかわらず、教会は進展しました(31節)。それはみ言葉に秘められている神の力が、それに敵対する力を圧倒したことによります。それと同時に、そのみ言葉に触れた者たちが、「主への畏れ」を抱き、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒言行録5章29節)という生き方を与えられたからです。今日の教会と信仰者においても常に維持され、強められなければならないものは、この「主への畏れ」です。この主への畏れは、み言葉への畏れから出てくるものです。礼拝ごとに耳を傾けるみ言葉の中に、主なる神ご自身が宿っていてくださるとの思いで、これからも畏れをもって礼拝を捧げ続けて参りましょう。それによって、教会の質は高められ、一人ひとりの信仰が豊かなものとされるでしょう。そして礼拝に集う他の人々が、「ここに神がおられる」との信仰に導かれるに違いありません。それがわたしたちの祈りです。

主日礼拝 2023.04.23

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    栗林 聖子

前奏
招詞詩編85篇9節 (旧約p922)
讃美歌13 こころのよろこび
祈祷
聖書使徒言行録9章19b~31節 (新約p230)
信仰告白使徒信条
讃美歌217 あまつましみず
説教「迫害者から伝道者へ」
(原稿)久野  牧  (代読)栗林 恵一
祈祷
讃美歌321 わがしゅイエスよ
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄541 ちちみこみたまの
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.04.16

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編9篇20~21節 (旧約p841)
讃美歌8 きよきみつかいよ
祈祷
聖書マタイによる福音書6章10節 (新約p9)
信仰告白使徒信条
讃美歌140 いのちのいのちに
説教「叶えてください、あなたの御心が、天のように地にも」
李 炳斗 下関教会牧師
祈祷
讃美歌285 しゅよみてもて
聖餐式202 くすしきみすがた
讃美歌202 くすしきみすがた
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄545 あまつみたみも
祝祷
後奏

主日礼拝 2023.04.09 / イースター・召天者記念礼拝(合同)

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞イザヤ書53章11~12節 (旧約p1150)
讃美歌148 すくいのぬしは
祈祷
聖書詩編30篇1~6節 (旧約p860)
ヨハネによる福音書20章11~18節 (新約p209)
信仰告白使徒信条
讃美歌294 みめぐみゆたけき
説教「“無い”から“在る”へ」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌154 ちよこえたかく
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「罪の世に勝利する信仰」

 (棕梠の主日礼拝)

ヨハネの手紙一、5章1-5節

教師 久野 牧

今日は主イエスが十字架の苦しみにあわれ、死へと追いやられたことを覚える受難週の初めの日、棕梠の主日です。今日取り上げるヨハネの手紙一、5章1-5節には「悪の世に打ち勝つ信仰」との小見出しがあります。「世に打ち勝つ」とはいかなる意味でしょうか。それについて御言葉に耳を傾けましょう。主の十字架の苦しみとわたしたちの信仰や救いとの関係について、明らかにされるに違いありません。

ここに記されていることは第一に、神から生まれた人は世に打ち勝つということです(4節前半)。5節ではそのことを逆の面から語っています。「だれが世に打ち勝つか」との問いを出して、その答えは「それはイエスが神の子であると信じる者である」です。その二つのことから言えることは、「神から生まれた者」とは、イエスが神の子でありメシアであると信じる者ということです。ここで強調されていることは、イエスを神の子と信じ、神からの唯一のメシア(救い主)として信じる者は、神から生まれた者と言われるほどに、神に属する者とされている、ということです。それは、その人には信仰によって、神との間に決して切れることのない結びつきが与えられている、ということを意味します。さらにその人には、悪の世に打ち勝つ勝利が神から約束されている、勝利が与えられている、とまで述べられています。ここで言う勝利とか、世に勝つということは何を意味しているのでしょうか。

まず「世」とは何か、それは神の愛の対象としての人間、神が救いを与えようとしておられる相手としての人間のことです。しかしその世はヨハネによる福音書15章18節によれば、「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」と記されているように、神と御子キリストに敵対するという一面を持っています。その結果は、人を死と滅びの世界へ陥れることです。神はそのような世をそのままにしてはおかれません。神は救い主を送って、そうした悪しき力の支配下にある世に生きている人間を、御自身と結びつけることによって人を悪しき世から切り離し、新しい命の世界で生きる者としてくださいます。それが救いです。そしてそのことが、「神から生まれる」ということの内容です。かつては死に向かう世界に生きていた者が、キリストを信じる信仰によって死から命へと移されるのです。それがここで言われる「勝利」です。それによってわたしたちは、死を超えた希望の中で地上の生を全うすることができるものとされます。十字架において、わたしたちに代わって死んでくださったイエスを、唯一の救い主として信じる者には、究極的に、罪と死に対する勝利が約束されています。これこそが福音であり、この約束こそがわたしたちに慰めと平安をもたらすのです。

しかしわたしたちを取り巻く現実は、「勝利」と言われることからほど遠いものであると叫びたくなる状況です。にもかかわらず、わたしたちの世界の現実よりも確実に、力強く、聖書は主イエスの勝利を宣言しています。その根拠は、主が悪や罪の結果としての死を打ち破ってよみがえられたことです。罪の力、死の力が最後的なものではなく、それを打ち破る死の克服の出来事、すなわち復活が、主に結びつく者にもたらされる最後の事柄です。勝利の主イエスは、「わたしのもとに来い」と招き、「わたしを信ぜよ」と命じておられます。「わたしの勝利はあなたのためのものだ」、と語りかけておられます。それゆえ大切なことは、一筋に勝利の主イエス・キリストに向かっていく信仰こそがわたしたちの希望の基となるとの確信です。勝利の主は、すべての人にご自身の勝利を分け与えようとしておられます。その主の御心に応えて働くのが地上の教会の務めであり、責任です。