主日礼拝 2022.10.02

開会     10時15分
司会    古賀 洋子
奏楽    十時やよい

前奏
招詞ヨシュア記1章5節 (旧約p340)
讃美歌79 ほめたたえよ
祈祷
聖書詩編107編23~32節 (旧約p948)
マルコによる福音書4章35~41節 (新約p68)
信仰告白使徒信条
讃美歌273B わがたましいを
説教「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
神学生 海東 強(稲田堤伝道所会員)
祈祷
讃美歌270 しんこうこそ
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2022.09.25

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編5編12~13節 (旧約p838)
讃美歌12 めぐみゆたけきしゅを
祈祷
聖書イザヤ書25章9節 (旧約p1098)
ヨハネによる福音書20章24~29節
信仰告白使徒信条
讃美歌243 ああしゅのひとみ
説教「わが主よ、わが神よ」 (会員)栗林ミチ
祈祷
讃美歌355 しゅをあおぎみれば
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

「信者たちの持ち物の共有」

使徒言行録4章32-37節

教師 久野 牧

ペンテコステ以後、主イエスの弟子たちを中心にして「信じた人々の群れ」(32節)が形成されました。これは、まだ組織や制度は整っていませんが、キリストの体である「教会」が形成されたということです。その特質は、次の四つの項目にまとめることが出来ます。

(1)彼らは心も思いも一つであったこと(32節)
(2)彼らは持ち物を共有する集団であったこと(32節)
(3)この群れを率いる中心的立場にいた使徒たちは、大いなる力をもって、主イエスの復活を証しし続けたこと(33節)
(4)キリストを信じるこれらの人々は、他の人々から非常に好意を持たれていたこと(33節)

このなかで特に二つのことについてさらに考えてみましょう。その一つは、信じる人たちが「心を一つにしていた」ということです。この語は使徒言行録の著者ルカがよく用いるものですが(4章24、32節、5章12節)、内容的には、耳を傾けること、祈りをささげること、讃美を歌うことにおいて、皆同じ方向を向いていたということです。彼らの耳と目と口は、復活の主イエスに向けられていました。彼らは共通のみ言葉と教えに耳を傾け、共通のお方に信仰の眼差しを向け、共通のお方を賛美しつつそのお方を人々に宣べ伝えました。また、パンを裂くことを通して共通のお方の命に触れることが出来ていました。そのことが、彼らが心を一つにすることが出来た最大の要因です。

そしてそのような彼らの一致は、一丸となって復活の主イエス・キリストを群れの外にいる人々に宣べ伝え、証しする行為となって表れ出ました。それによってさらに主イエスとの出会いを与えられた人々が、悔い改めを促され、教会へと導かれました。それは熱狂的でも狂信的でもなく、確信をもって誠実になされたことでしょう。それが、この群れが、外の人々から好意を持たれることに結びついています。彼らは信仰に生きることによって、キリストの善き香りを放っていたのです。

もう一つ注目しておきたいことは、信じた人たちが財産を共有していたということです。彼らの中には富んでいる人もいたでしょうが、多くは貧しい人々であったにに違いありません。それらの人々が心を一つにして信仰共同体を形成していくとき、強制や命令によるのではなく、自然なかたちでそれぞれが自分の持っているものを差し出して共有したり、分配するということがなされたのでしょう。それも思いが一つにされていたからこそできたことでした。しかしこのような財産共有の共同体については、使徒言行録においてこのあと記されるということはほとんどありません。逆にそのことについては語られなくなります。それは財産共有の共同体という形が長く続かなかったということかも知れません。このことについては丁寧な考察が必要ですので、今回はこれ以上触れないことにいたします。

最後にキプロス生まれのユダヤ人であるヨセフ、あるいはバルナバと呼ばれる人の教会への献げものについて記されています。自分に与えられた財産を、教会のためにすべて献げることによって自分自身を献げようとすることは、今日でもあり得ることです。しかしそれは、今改めて社会問題となっている旧・統一教会における献金とは全く質が異なるものであることを、わたしたちははっきり認識しなければなりません。今日、教会において献金について丁寧な説明がなされることはとても大事であることを思わせられます。 

主日礼拝 2022.09.18

開会     10時15分
司会    加藤  治
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編135編1~3節 (旧約p975)
讃美歌19 みこえきくとて
祈祷
聖書使徒言行録4章32~36節
信仰告白使徒信条
讃美歌73 くすしきかな
説教「信者たちの持ち物の共有」
(原稿)久野  牧、(代読)加藤  治
祈祷
讃美歌348 ならびもなく
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2022.09.04

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞ヨシュア記1章5~6節 (旧約p340)
讃美歌14 わがたまさめて
祈祷
聖書使徒言行録4章13~22節
信仰告白使徒信条
讃美歌73 くすしきかみ
説教
祈祷
讃美歌448 みめぐみを
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2022.08.28

開会     10時15分
司会    栗林 聖子
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編126編5~6節 (旧約p971)
讃美歌6 われらしゅを
祈祷
聖書フィリピ人への手紙4章4~7節
信仰告白使徒信条
讃美歌249 われつみびとの
説教「主にあって、喜ぶ」 長老 栗林聖子
祈祷
讃美歌263 よろこばしき
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

「隅の親石となられた主イエス」

使徒言行録4章1-12節

教師 久野 牧

ペトロとヨハネが足の不自由な人を癒した後、多くの人々が二人のもとに集まってきました。二人は、この出来事は、自分たちの人間的な力によるものではなくて、復活の主イエス・キリストの力によるものであることを、彼らに説明しました。そしてこの主イエス・キリストこそが、イスラエルの人々が長い間待ち望んできたメシア(救い主)であることを証ししたのです。

このことは神殿内で起こりました。そのために神殿のすべてのことに責任を持っている祭司たちや神殿守衛長、サドカイ派の人々が不安や怒りを覚えて、二人を捕らえて牢に入れてしまいました。彼らは多くの人々が二人の周りに集まっていることから、神殿内の秩序のことを心配したのかも知れません。また取り締まりに来たのが復活を信じないサドカイ派の人々が多かったことを考えると、主イエスの復活を力強く証しするペトロたちの教えを、彼らが到底受け入れることが出来なかったということも、二人が捕らえられた理由であったことでしょう。

捕らえられた二人は、次の日エルサレム議会が招集されて、裁判にかけられました。エルサレム議会は、最高裁判所の働きもしていました。議員たちは二人に、「お前たちは何の権威によって、また誰の名によって、こういうことをしているのか」と問うています。つまり、足の不自由な人を癒したこと、そして多くの民衆に向かって、イエス・キリストこそメシアであると説いているのは、どのような権威に基づいて行っていることなのかを尋問しています。彼らは、ペトロとヨハネの背後にいる者はいったい何であるかを確かめようとしているのです。

それに対してペトロは「聖霊に満たされて」(8)語りました。「これは先ごろ、イスラエルの人々が、神を冒涜する者として十字架の死へと追いやった神の子、ナザレの人、イエス・キリストによるものである」とはっきりと述べています。その際ペトロは、旧約聖書の詩編118編22節の「家を建てた者たちによって捨てられた石が、新しい家の親石・土台となった」という比喩的言葉を引用して、これはイエス・キリストのことを指しているのだということを明らかにしています。つまり、詩編の句が預言していることが、イエス・キリストによって成就したということです。神の救いの御計画が、今こういう形で現実のこととなったことを証ししています。議会の人々もイスラエルの人々も、初めて聞くこのことに、大きな驚きを覚えたことでしょう。人間の過ちを用いてまでも、ご自身の救いの御計画を罪人たちのために遂行してくださる神の憐みの大きさが、わたしちの心を捕らえます。ペトロたちは旧約聖書との関係にも触れながら、この主イエス・キリスト以外に、わたしたち罪人を救い得るお方はいない、と力強く宣言しています。少しの陰りもないイエス・キリストを証しする言葉を、わたしたちはここに聞くことが出来ます。

このような大胆な発言は、主イエスがかつて弟子たちに向かって「あなたがたが裁判の席に立たされることがあっても、わたしがあなたがたに語るべき言葉を授けるから、心配するな」(ルカ21章12-15節)と約束されたことが、そのとおりに起こっているものであることを、わたしたちはここに見ることが出来ます。主イエスの約束は必ず果たされます。そしてこの約束は、わたしたちにも与えられていると信じてよいのです。どんな場に立たされても、わたしたちには主イエスを証しする言葉と力と勇気とが、聖霊によって与えられます。そのことを信じて、わたしたちも恐れなく、復活の主イエス・キリストを証しする者としての歩みを続けて行きましょう。今日、教会の存在意義が強く問われています。

主日礼拝 2022.08.21

開会     10時15分
司会    加藤  治
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編118編22~25節 (旧約p958)
讃美歌12 めぐみゆたけき
祈祷
聖書使徒言行録4章1~12節
信仰告白使徒信条
讃美歌71 つくりぬしよ
説教「隅の親石となられた主イエス」 原稿久野 牧 代読加藤 治
祈祷
讃美歌194 さかえにみちたる
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄542 よをこぞりて
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2022.08.14

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編4編7~8節 (旧約p837)
讃美歌286 かみはわがちから
祈祷
聖書使徒言行録12章1~17節
信仰告白使徒信条
讃美歌500 みたまなる
説教「教会には祈りがある」 佐賀神の教会牧師 相原典之
祈祷
讃美歌191 いともとうとき
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄542 よをこぞりて
派遣と祝福
後奏

「命への導き手である主イエス」

使徒言行録3章11-26節

教師 久野 牧

今日のテキストは、先月の足の不自由な人がペトロとヨハネによって癒された物語の続きで、その出来事に対する人々の反応と、それを巡って語ったペトロの説教が記されています。この出来事を目撃した群衆は、こうしたことが出来る弟子たちはいかなる人物なのかと大きな関心をもっています。弟子たちはこの出来事がどうして起こったのかを説明して、正しい理解を与えることの必要性を覚えるとともに、彼らが向けている自分たちへの関心を、復活の主イエスに向き変えなければならないとも考えています。そのために、ペトロは神の御計画について語ります。

ペトロは初めに否定的な面から語っています。それはこの人が癒されたのは、ペトロたちが持っている人間的な力によるものではないということです。そして人々が真に注目すべきものとして、この出来事の中心に立っておられる目に見えない主イエスを指し示します。さらにこのお方が、自分にとってどのような存在であるかを一人ひとりが真剣に問うように求めるのです。主イエスの力が発揮されることになったのは、癒された男の人の中にある小さな一途な信仰と、主イエスを絶対的に信じる弟子たちの信仰によります。ペトロは何とかして、その信仰を通して働いてくださる復活の主イエス・キリストに、人々の目を向けさせようとしています。

主イエスについて語るとき、ペトロは旧約時代のことから説き明かします。イスラエルの人々が信じている神は、時が満ちて救い主としてイエス・キリスト遣わされた。しかし人々がその主イエスを十字架の死に追いやった事実を述べています。これによってイスラエルの人々が犯した大きな過ちを確認しています。これはその後に続く神の恵みに満ちた事柄へと人々を導くために、どうしても見逃すことが出来ない歴史的事実なのです。次に神は人々が死へと追いやったイエスを、死者の中から復活させられた、と確信をもって語っています(15節)。人々が拒絶し、死の世界へと追いやった神の僕を、神は死者の中からよみがえらせて、人の罪や死の力にまさる神の力をお示しになられました。それによって大きな罪を犯したイスラエルの人々に対する神の愛をも示されたことを、ペトロは強調しています。その神の愛の生きた証拠が、足の不自由な人が癒された出来事である、と訴えています。

説教の第二段階において強調されていることは、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて(神に)立ち帰りなさい」の言葉につきます。そうすれば神は必ず赦してくださると確信をもって語っています。それが神の救いの御計画であることを旧約聖書との関係で説いています。さらにイスラエルの民が神に立ち帰ることによって、イスラエル自身が終わりの裁きの時に備えることになると同時に、この世界をも終わりの時に備えさせることになるのだ、ということが20節以下で展開されています。ペトロは人々に、終わりの時への備えは、何よりもイスラエルから始められるべきであると、「祝福の基」としての自覚を促しているのです。

ところで教会は新しいイスラエルと呼ばれます。歴史上のイスラエルが実際には果たすことができなかった務めを果たすために、神は新しいイスラエルとして教会を招集されました。多くの命が損なわれ、奪われているこの時代の中で、真の「命への導き手」(15節)である主イエスへの立ち帰りと信仰こそがこの世の祝福と希望の唯一の拠り所ある、と語るペトロの言葉は、まずわたしたちがしっかり聞いて、次に確信をもってこの世界に語らなければならないものです。佐賀の地において集められた新しいイスラエルとしてのわたしたちの教会は、主のご委託の務めを果たすために真剣に祈りつつ、務めに全力を傾けたいと願います。