「神はイエスを復活させられた」

使徒言行録13章26-43節

教師・久野 牧

使徒言行録に基づく前回の礼拝では(2024年2月25日)、パウロたちが第一次伝道旅行において、ピシディア州のアンティオキアで行った説教の前半(16-25節)の御言葉を聞きました。そこではイスラエルの歴史がかいつまんで語られ、神の約束の救い主派遣が、イエス・キリストにおいて実現したということが語られました。その続きである本日の26節以下においては、その約束の救い主がエルサレムの人々によって殺されたこと、そしてそのようにして死の世界に降られたイエスを神が復活させられたことが、中心的なこととして語られています。

パウロは、ここでイスラエルの人々は、神が救い主として送ったイエスを十字架にかけて殺してしまった、ということを強調しています。それは旧約時代に語られた預言者たちの言葉を彼らが正しく理解することができていたならば、人々はこんな愚かなことをすることはできなかったはずだ、とパウロは語りたいのです。それでは神が送られた救い主イエスが人々に殺されることによって、神の救いのご計画は挫折してしまったのでしょうか。パウロはそんなことはないということを明らかにするために、次に人の手によって殺された主イエスが、神によって死からよみがえらされた出来事を語っています。人の手は神から遣わされた救い主イエスを死に追いやった、しかし神の手はそのイエスを死者の中から引き出して、即ちよみがえらせて、新しい命に移されました。それで終わりではありません。この復活の主イエスに結びつくことによって、その信じる人に、同じように復活の命が約束されるということも語っています。これが「救いの言葉」(26)であり、「福音」(32)と言われるのです。驚くべき知らせです。

パウロの説教において繰り返されている「神はイエスを死者の中から復活させられた」という言葉は、初代教会の最も古い、そして中心的な信仰告白でした。死者がよみがえらされるという信じがたい出来事を、神の業として信じる信仰の上にキリストの教会が建てられ、この信仰を生き抜くことに生死をかけたのが、初代教会のキリスト者たちでした。それは初代教会の時代に限らず、それ以後、今日に至るまでの二千年余にわたる教会の歴史において貫かれているものです。

復活が約束されていることを、パウロは別の面から次のように説明しています。その一つは、「この方による罪の赦し」(38)であり、他は「信じる者は、この方によって義とされる」(39)です。すさまじいまでの人間の罪が、神からの救い主を死へと追いやりました。それによって人は神に反逆し、神との関係を自ら破壊してしまいました。しかし、神は御子を死から復活させることによって、御自ら人間の罪の赦しの道を開き、またご自身との関係の回復の道を備えてくださいました。それが神との和解であり、人が義とされるということです。わたしたちは、御子の十字架の死と、死からの復活を神の救いの業として信じる時に、このようなとてつもない恵みを自分のものとすることができます。この計り知れない神の恵みの受け手とされているわたしたちであることを、畏れと感謝をもって受け止めましょう。

説教を終えた後、パウロたちのもとに集まって来た人々に対して、彼は次のように勧めています。「神の恵みのもとに生き続けるように」(43)。多くの異なる教えや、他の神々からの誘惑があるであろうこの世で、驚くべき御業を成し遂げられた神の恵みの下で生き続けよと、わたしたちも声を大にして心を込めて宣べ伝えようではありませんか。それが今日の教会が果たすべき中心の務めです。

「神の選びの愛と真実-パウロの説教の中心」

使徒言行録13章13-25節

教師・久野 牧

キプロス島での伝道の働きを終えたバルナバとサウロは、次にピシディア州のアンティオキアにやって来ました。ここでの記述で注目すべき三つのことがあります。一つは、サウロの呼び名が全面的に「パウロ」に変わったという点です。13節以下でサウロの名はパウロに統一されています。第二は、これまで「バルナバとサウロ」という順序で呼ばれることが多かった二人が、13節以下ではその順序が逆になって、「パウロとバルナバ」となっている点です。第三点は、「ヨハネ(・マルコ)」という同伴者が途中から、エルサレムに引き返したという出来事です(13節)。このことは15章で新たに問題にされますので、その時にもう少し詳しく考えます。

こうしていくつかの変化や出来事を伴いながら、パウロたちの伝道活動が進められて行きました。パウロたちはいつものように安息日にユダヤ人の会堂に入りました。そこで聖書朗読の後、会堂長(ユダヤ人)がパウロたちに「何か励ましのお言葉を話して欲しい」と願い出ています。それに応えてパウロが行った説教が、16-41節に記されています。今日はその前半の17―25節に記されている旧約時代から洗礼者ヨハネに至るまでのことをご一緒に学びます。

パウロは話しを始めるに先立って、「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」と呼びかけています。「イスラエルの人たち」とはその地に住むイスラエル人のことです。彼らはイスラエルの神を信じています。「神を畏れる方々」とはイスラエル以外の外国人で、ユダヤ教に帰依し、ヤㇵウェ神に対する信心を持っていた人々のことです。そうした人々が礼拝をささげていました。パウロはイスラエルの神への信仰の下で約束されていた救い主(メシア)の到来を待ち望んでいるこれらの人々に向かって、「あなたがたが待ち続けてきたメシアは、あの十字架のイエス・キリスト、その方である」と証ししました。パウロはイラエルの歴史を導いた神が送ってくださった約束の救い主はイエス・キリストである、と述べています。彼がこの救い主イエスについて語るに先立って、イスラエルの歴史を丁寧に振り返るのは、それを導いたのはここにいる人々が信じているイスラエルの神そのお方なのだ、ということを証しするためでした。パウロは壮大な歴史の主語である「イスラエルの神」に注目させています。民を選び、それを愛し、救い主を送るとの約束を果たすという一切の出来事と歴史の主は、イスラエルの神であるということです。

このように歴史を導かれた神に対して、選ばれたイスラエルの民は、いくたび反逆し、他の神々に心を寄せることによって神の御心を痛めさせたことでしょうか。しかしパウロは民の罪について多くを語るよりも、民に対する神の忍耐と憐みと赦しを強調しています。民の罪以上に歴史において際立っているのは神の愛、慈しみ、恵みです。それがパウロの説教の核心です。

わたしたちはイスラエルの歴史と自分たちの歴史を同一視することはできませんが、わたしたちもまた何と繰り返し神を裏切って来たことでしょうか。各人の歴史には罪や過ちや痛みが伴っています。しかしそれ以上に、神の赦しや守りや支えの方がはるかに多いのです。その事実をわたしたちが自分の歴史の中に見届けることが出来るならば、何と幸いなことでしょうか。わたしたちも神に選ばれて、新しい神の民イスラエル、即ち教会の民の一員とされています。この神による選びは、わたしたちの信仰いかんによって変わるものではなく、終わりの時まで貫かれます。それが神の真実です。それゆえわたしたちも真実の限りを尽くして、この神への服従に生きたいものです。 

「礼拝から宣教へ」

使徒言行録13章1-12節

教師・久野 牧

新しい年の初頭から悲惨な出来事に見舞われた我が国ですが、わたしたちが住むこの世界に希望の光が差し込むと年となるように心からの祈りをささげながら、この一年の歩みを進めて行きたいと願います。今日は13章1-12節に描かれているアンティオキアの教会から学びます。この教会では、組織や体制が次第に充実していき、み言葉を説く教師が五人も与えられていました。彼らによってこの群れにみ言葉が語られ、教えられていたのです。教会で礼拝が捧げられていたある日、聖霊が礼拝者たちに「さあバルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」と告げました。神から託された仕事とは、外国伝道の働きのことです。選ばれたバルナバとサウロは、教会の人々によって頭に手を置かれて(按手)、聖霊の賜物が祈り求められました。

こうして二人は教会の信任を受けて異邦人への伝道者として任職され、宣教へと派遣されました。これが後に第一回伝道旅行と呼ばれるものとなりました。わたしたちはこの選びと任職と派遣という出来事が、礼拝の中で起こったことに注目すべきです。教会のすべての業は、礼拝から始まります。礼拝はいつも、この世に散らされた者たちが集められてくる側面と、集められた者たちが遣わされていく側面があります。教会はこの二つを軸として回転しています。

教会から派遣されたバルナバとサウロが最初に向かった地は、キプロス島でした。それは「聖霊によって送りだされた」(4)地でした。二人は各地のユダヤ人会堂で神の言葉を告げながら、キプロス島の首都であり、この島を支配していたローマ帝国の地方監督が駐在していたパフォスまでやって来ました。そこで一つの事件が起こりました。偽りの言葉を語る魔術師と神の真実の言葉を語る使徒たちとの間に対決が生じたのです。サウロは「聖霊に満たされて」(9)、魔術師に対して警告と宣告の鋭い言葉を発し、「時が来るまで日の光を見ないだろう」(11)と告げました。魔術師は目が見えなくなりました。神の言葉が彼を見えなくさせたということは、再び彼が見えるようになるには、神の言葉が彼に語られる必要があるということです。魔術師の身に起こった出来事を見、またバルナバやサウロたちから「主の教え」(12)、即ち福音や神の言葉を聞かされた総督は、信仰に入りました(12)。総督の上にも、聖霊なる神が働いてくださいました。こんにち、神の真理に対して見えなくなっている人々に対して手引きの役割を果たすのは、教会以外にはありません。

この出来事から、わたしたちはいろんなことを考えさせられます。その一つは今の時代においても福音が告げられるとき、この世界の魔術的なもの、呪術に近いもの、自然信仰に近いものとの対決が生じ得るということです。今日、科学・技術万能、コンピューター絶対の時代と言われても、依然として霊的能力や超自然的な力を持っていると自称する者に率いられる宗教集団が跋扈しています。占いや呪術に頼り、加持祈祷を求め、金銭をだましとられる人々も少なくありません。それらの人々の救いのために、教会は教会のみが語ることの出来る福音を差し出すことによって、仕えなければなりません。神の言葉に秘められている豊かな恵みや憐みや力によって、さまざまなものの捕らわれや呪縛の状況にある人を解放するのです。礼拝において、わたしたちのために仕えてくださった主イエスに繰り返し出会いながら、その主によってわたしたちは礼拝から遣わされ、人々の救いや癒しや解放のために働く、そういう一年としたいものです。

「ペトロの逮捕と教会の祈り」

使徒言行録12章1-19節

教師・久野 牧

使徒言行録12章では主として使徒たちに加えられた迫害について述べられています。そこでわたしたちも、これまでのエルサレムにおける信仰者への迫害について振り返ってみましょう。初めは4章に記されていますように、神殿で説教するペトロとヨハネが捕らえられて裁判を受けるという事件です。このとき二人は、「決してイエスの名によって話したり、教えたりしてはならない」との命令と脅しを受けて、釈放されました(4:18、21参照)。5章ではエルサレムで、主を信じる者たちが増えてきたとき、神殿当局者たちは使徒たちを捕らえ、彼らを鞭で打ち、前と同じように、「イエスの名によって話してはならない」と命じました(5:40)。

その後ステファノの逮捕と殉教の死が、6-7章にかけて記されています。それに続いてエルサレムの教会に対する大迫害が起こったことが8章に記されています。多くの信仰者がエルサレムから逃げ出したのですが、しかしそれは敵対者たちの思惑とは異なって、キリスト教を潰すどころか、福音が各地に運ばれるきっかけとなり、その結果、アンティオキアに最初の異邦人教会が設立されるに至りました。

12章では舞台は再びエルサレムとなり、特にここでは使徒たちの中で、ヤコブとペトロの苦難が語られます。時代は、ヘロデ・アグリッパ一世の治世の頃です。彼は純粋なユダヤの血を引く人物ではなかったために劣等感持っていて乱暴でした。彼の迫害の手は、ついに十二使徒のひとりであるヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺すまでに至りました(2節)。このヤコブの死がユダヤ人に喜ばれるのを見たヘロデ王は、民衆への媚びへつらいのために、さらに十二使徒の代表格であるペトロを捕らえて、牢につなぎました。そうすることによって、ヘロデは人々からの人気を買い、さらに教会の群れの崩壊をさえ狙ったに違いありません。

一方、ペトロを捕らえられた教会の側の最大の関心事は、ペトロの救出でした。教会には権力者側のように、剣や武器はありません。教会はこの世的には全くの無力です。あるのはただ祈りの力だけです。教会にとって、また信仰者にとって、祈りこそがこの世の悪しき者と戦う時の武器です。そして神は祈りに応えてくださるお方です。祈りがわたしたちに与えられていることの恵みを深く思わされます。祈らないで何かをやろうとする教会、祈りを必要としないと考える信仰者、それは決して強い教会、強い信仰者ではありません。それは神に何も期待しない姿であり、霊的・信仰的に大きな弱さと欠けがあるというほかありません。

教会でペトロのために熱心な祈りがささげられているとき、牢では主の天使がやって来て、ペトロを牢の外に救出するという出来事が起こりました。初めは何が起こっているか分からなかったペトロですが、いくらか時間が経った後で、自分の身に起こったことが神によるものであることに気付かされました(11節)。ペトロは、「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」に行きました(12節)。

ペトロも、祈っていた信仰者たちも、最初は、祈りが聞かれたとは信じることが出来ませんでした。それは神のなさることが人の思いをはるかに超えているため、目の前に起こっていることを正しく理解できないことがあることを示しています。。しかし神は祈りを聞いてくださるお方です。こうして一つの困難な出来事を巡る教会の祈りは、ひとまず答えを与えられました。そのようにして神によって一つの祈りの実りをもたらされた信仰者たちは、その出来事を感謝をもって受け入れるとともに、新しい祈りの課題に向かって進んで行くのです。わたしたちにとっても、祈りの課題に欠けることはありません。

「初めて<キリスト者>と呼ばれた人たち」

使徒言行録11章19-26節

教師・久野 牧

「福音は野火のようなものである。一つの場所で踏み消しても、他の場所に飛び火する。今やこの福音の野火は、それを食い止める者がないほど、赤々と燃えている」。これは初代教会時代の福音拡張の様子を言い表したものです。エルサレムでキリスト者に対する大迫害があっても、福音のともし火は消え去ることなく、エルサレムからその周辺地域へ爆発的に広まっていきました。11章19節以下においてもそのことが描かれています。ステファノの殉教の死をきっかけに始まったユダヤ人によるキリスト者迫害が原因で、多くのキリスト者がエルサレムから逃げ出さざるを得なくさせられました。しかし彼らは身に降りかかった災いや苦難を単に嘆くのではなく、散らされるという困難を、福音を広める機会としたのです。

各地に散っていったキリスト者の中の外国住まいの経験がありギリシア語を話せる人々は、当時のローマ帝国の大都市アンティオキアに出かけて福音を宣べ伝えました。そこで彼らが語りかけた相手は、「ギリシア語を話す人々」、すなわち異邦人、外国人です。彼らはなぜ外国人にみ言葉を語るという新しい試みを始めたのでしょうか。それは彼らは自分たちにとって良きものである福音は、外国人にとっても同じように良きものであり、彼らをも救いに導くことを福音そのものが要求しているとの確信を抱いていたからです。神の救いはユダヤ人に限られたものではなく、すべての人々にもたらされるべきものである、というのが彼らの確信でした。

彼らの働きの結果はどうだったでしょうか。聖書は次のように報告しています。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」(21)。主なる神のみ手が伸ばされ、み言葉を語る人々が用いられて、異邦人が主を信じる者へと変えられて行きました。み言葉と聖霊の力がそれを起こしました。主なる神は、自由に、大胆に、そして愛をこめて福音を宣べ伝える人を、み心のままに用いられるお方です。その結果、新しい実りが生じることになります。

さて、アンティオキアで多くの外国人がキリストを信じる者になったという知らせが、エルサレム教会にもたらされた時、人々は喜び、アンティオキアの信仰者たちの群れを整えるために、バルナバを派遣しました。彼はアンティオキアの信仰者たちの姿を見、ここにあふれている神の恵みを感謝し、その地の信仰者たちに、固い決意をもって主から離れることがないようにと、勧めました。バルナバは、この若い教会を今後養い育てるためにふさわしい指導者を求め、与えられたのがサウロでした。バルナバとサウロは丸一年間、この教会に仕えました。こうして整えられたのがアンティオキア教会です。この地において主イエス・キリストを信じる者たちが、初めて「キリスト者」(口語訳「クリスチャン」)と呼ばれるようになりました。「キリスト者」とは、キリストの名をしょっちゅう口にする者、キリストに属する者、キリスト一派といった意味合いであり、これはキリストを信じない人々からつけられたいわばあだ名、蔑称です。しかしこのあだ名が、歴史において、やがてキリストを信じる者たちを表す正式な用語として定着することになります。

いつの時代にも伝道にとっての困難や障碍や危機的状況があります。それらは到底わたしたちの力にかなうものではありませんが、福音の力そのものが、それを突破してくれるでしょう。佐賀めぐみ教会は、聖霊と信仰に満たされて、困難の中でもさらに宣教の業に励みたいものです。絶望という名の不信仰を、わたしたちは締め出さなければなりません。 

「神は人を分け隔てなさらない」

使徒言行録10章34-48節

教師・久野 牧

福音はその内に秘めた力によって、自らの領域を広げていきます。それを如実に示しているのが使徒言行録の記述です。本日の場面は、使徒ペトロが地中海沿岸の港町カイサリアにいるイタリア人(異邦人)コルネリウスの家に招かれて、み言葉を説いている場面です。この説教は二つの内容から成っています。一つは神が遣わされた御子イエス・キリストに起こった十字架の死と死からのよみがえりという歴史的出来事に関するものです(34-40)。二つ目はキリストに起こったその出来事がわたしたち人間にどのような益や恵みをもたらすかに関するものです(41-43)。

ペトロの説教は「神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました」で始められています。これは神がわたしたち人間をご覧になるときの眼差しを言い表しているものです。ある人が言っています。「どういう尺度で人を測るかで、その人自身が測られる」。人を測るとは、人を評価するということです。その時の尺度は様々です。財産や学歴や家柄などによって人を測ることもあります。外観・外見(容姿)によって測ることもあります。その人の思想や考え方を測りとすることもあります。さらに自分にとってこの人はどのような益があるかが、物差しとなることもあります。それらの尺度のいずれかによって他者を測るとき、自分自身も他者から同じ尺度によって測られることを覚悟していなければならないのです。

そういう中でわたしたちは、神との関係において人を見るという見方があることを教えられます。それは神がどのような眼差しで人をご覧になるかを知って、自分も同じ見方をすることです。その神独自の眼差しを表すものが、「神は人を分け隔てなさらない」です。それでは神が分け隔てをなさらないことが、どのようなことの中に現れているでしょうか。その神の特質を表すペトロの説教の言葉は、次のようなものです。「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(35)。「この方こそ、すべての人の主です」(36)。「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる…」(43)。神は何よりも救いにおいて人を分け隔てすることをなさらないのです。主イエスの十字架の死はまさしくそのためのものでした。ペトロの説教の第一の中心は、以上のことでした。

説教の第二の中心点は、主イエスの復活がすべての人にもたらした大きな恵みとして、「罪の赦し」を強調していることです(43)。神は人間が殺した主イエスを、三日目に死から命へと移されました。復活の出来事です。人間はキリストから命を奪って死へと追いやりましたが、神は死んだキリストから死を奪って、新しい命をお与えになりました。それによって「死が死んだ」のです。そして死に至るまで神に忠実であられた御子イエスに信仰によって結びつき、神への忠実な信仰に生きる者は、すべて神に受け入れられて、罪の赦しが与えられる、その結果その人においても死が死ぬ、つまり死に代わって新しい命が与えられます。こうして主イエスを通して、すべての人が真の命へと招かれます。このように神はすべての人を分け隔てなく、御子イエスを通して罪の赦しへと受け入れようとしていてくださいます。カルヴァンの言葉です。「復活(罪の赦し)の望みがあればこそ、わたしたちは倦むことなく、善き業に励むことができる」。パウロも語っています。「こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(コリント一、15:58)。これは信仰者の確信です。

「神の前にいるとの自覚と畏れ」

使徒言行録10章17-33節

教師・久野 牧

わたしたちの信仰生活においては、今どこに向かって進んでいるのか、これから先どうなるのかわからないという状況がしばしばあります。わたしたちの信仰は、ある意味では、常に目標への途上にあると言って良いでしょう。それゆえ次のように祈るほかありません。「主なる神よ、あなたがわたしをどこへ導いておられるのかわかりません。しかし、わたしはあなたの命じられるままに従って行きます」。

使徒言行録の中のコルネリウスとペトロは二人とも、先行きや神の御心が良く見えない中で、祈りつつ神の御声に耳を傾け、命じられるままに、自分のなすべきことを選び取って行きました。ヤッファにいるペトロは、昼間見た幻について「これはどういう意味か」と思案に暮れていた時、カイサリアで同じように幻を見たコルネリウスからの使いの者たちが、ペトロのもとに来ました。神の霊が働きかけて、「今、ペトロを迎えに来ている三人の者は、わたしが遣わしたのだ。彼らと共に行け」と促しました。彼はカイサリアに向かって行きます。一方カイサリアでは、コルネリウスが親類や友人を呼び集めて、ペトロの到着を待っていました(24)。

こうして、神が書かれた脚本に従って、主の弟子ペトロと、異邦人でありつつ神を畏れ敬っていたコルネリウスの出会いの出来事が起こります。ある人の言葉です。「この二人の出会いにまさる美しい出会いはない」。そのように評されるほどに、この出会いは恵みにあふれたものとなりました。コルネリウスは最初、ペトロに出会ったとき、「足もとにひれ伏して拝んだ」と記されています(25)。それに対してペトロは「お立ちください。わたしもただの人間です」と告げました。ペトロの言葉に注目しましょう。神の前にあってはすべての人は等しい存在です。誰が上で、誰が下といった区別や差別はありません。これは福音による人間理解、人間観です。

ペトロは、さらに語ります。「神は、わたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならない、とお示しになりました」(28)。神の前にあっては人は皆等しいもの、同じ価値と尊厳をもったものであることを、ペトロは確信をもって語っています。ここでわたしたちが注意すべきことは、どんな人間も等しい存在であるということは、どんな人にも罪がないという意味ではない、ということです。罪人であることにおいて、また救われなければならないことにおいても、すべての人は等しいのです。ペトロが示していることは、ユダヤ人と異邦人との間に設けられていた壁は、人と人との和解と赦しのために御子キリストが十字架にかかって死なれた出来事によって取り除かれた、ということです。それが福音です。

そこでコルネリウスは次のように語りました。「今、わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」(33)。この言葉に関して、「これほど頼もしい聴衆を持つことの出来た福音の説教者がほかにいるだろうか」とある聖書注解者が述べていますように、ここには神の前に心からへりくだり、熱心に神のみ言葉を聞こうとする砕かれた魂がいます。「主なる神がお語りになることを残らず聞きたい」と願って集まる聴衆がいる礼拝は、何と祝福されたものでしょうか。わたしたちの教会も、そのような礼拝者の群れとして整えられたいものです。礼拝は人間の集まりという要素を持ちながら、それを超えて超越的なこと、霊的なことが起こるところです。臨在の神がそれを起こしてくださいます。わたしたちは、神の前に出ているのだという畏れとへりくだりをもって、主の日毎の礼拝に連なるものでありたいと願います。

「異邦人に働きかける神」

使徒言行録10章1-16節

教師・久野 牧

初代教会のキリスト教が、ユダヤの国という限定された領域を超えて世界的なものとして進展していくためには、克服されなければならない壁がいくつかありました。その代表的なものの一つは「律法」であり、他は「異邦人」の問題です。その二つが結びついた出来事が、10章1節以下に記されているコルネリウスの物語です。場所はカイサリアです。この町はユダヤの都市ですが、当時ユダヤを支配していたローマ帝国はここをユダヤを治める行政の中心地としていました。ローマからの総督は、このカイサリアに駐在していました。ローマの一つの部隊の百人隊長コルネリウスは異邦人でしたが信仰深い人でしたし、彼の信仰は神によって受け入れられていました。彼にある日「神の天使」が幻の内に現れて告げたことは、使いの者をヤッファへ送って、そこにいるペトロをカイサリアに呼び寄せなさいというものでした。彼はペトロを知りませんが、即座にペトロのもとへ使いを送りました。

一方、ヤッファにいるペトロも幻を見ました。昼のちょうど12時頃空腹を覚えていたときに「天が開き」幻が見えました。その幻では天から降りて来た大きな布のような入れ物の中にあらゆる動物が入っていました。そして天からの声が「ペトロよ、屠って食べなさい」と彼の耳に響きました。それに対して彼ははっきりと拒絶の意志を表しました。彼は旧約以来の食べ物のおきてに忠実であったのです。それに対してまた天からの声が響きました。「神が清めた物を清くないなどと言ってはならない」。このようなことが三度繰り返されて動物を入れた入れ物は、天に引き上げられました。これはいったい何を意味しているのでしょうか。

旧約、特にレビ記11章のおきてで、清いとされた動物は食べても良いが、清くない動物とされたものは食べることができない、と定められていました。ユダヤ人はこのおきてに忠実でしたし、ペトロもそうでした。ところがいまペトロが見た幻の中の入れ物には、清い動物だけでなく、清くないものも含まれていました。だからこそペトロは、清くないものは食べるわけにはいきませんと拒んだのです。彼は神を信じていないから神の命令に逆らったのではなく、逆に神を信じているからこそおきてを破ることはできないと言っているのです。しかしここでペトロのなすべきことがあるとすれば、「主よ、これはどういうことですか」と神に問うこと、そして神の新しい命令の中に秘められている神の深い意図を汲み取ろうとすることでした。神が「食べよ」と命じておられることの中に秘められている神のご意図は何であるかを問わなかったことが、このときの彼の足りなさ、弱さでした。

ここで神が示そうとしておられる真意は、清い動物と清くない動物の区別の廃止を通して、ユダヤ人と異邦人の区別を乗り越えさせることです。つまり神は新しい時代の到来を告げておられるのです。それはキリストの福音の前では、ユダヤ人も異邦人もなく、あらゆる民族や人種を超えて、すべての人が等しく救いへと招かれているということです。もっと積極的に言えば、異邦人への福音宣教が本格的に始められる時が来たことを意味します。ペトロはこれから起こる出来事の中で神の新しい啓示に目が開かれていくことになります。苦しむペトロですが、その苦しみを通して、キリスト教、そして彼の宣教活動は、新たな段階へと進んで行くことになります。神の前で乗り越えなければならないわたしたちの教会の枠、打ち破らなければならない教会の壁とは何でしょうか。それを正しく捉えて、わたしたちも次の段階への前進や飛躍を与えられたいと願います。

「ペトロに癒された人たち」

使徒言行録9章32-43節

教師・久野 牧

今日のテキストには、ペトロがエルサレム以外の地で行った癒しの出来事が記されています。その地はリダとヤッファです。リダはエルサレムの北西約40キロの町で、ヤッファはリダからさらに北西約18キロの地にある港町です。それぞれの町には、既にキリスト者の共同体が形成されていたことを示されます。

リダでペトロは、「中風で8年前から床についていたアイネアという人」に会いました(33節)。彼はリダの地のキリスト者の群れの一員でした。ペトロは、病の床にあるアイネアのもとに行き「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と命じています。ペトロは自分自身の力で病の人を癒すことができるとは考えていません。復活された主イエスの力に頼ってそのようにしています。アイネアはすぐに起き上がりました。それを見てリダの人々は、「主に立ち帰った」と記されています。この癒しの出来事を起こされたのは、復活の主キリストであると知って、人々はイエス・キリストを信じる者になった、ということです。

次に30節以下には、港町ヤッファでの出来事が記されています。ここに登場するのはタビタという「婦人の弟子」(36節)です。タビタは、主イエスを信じる人であり、群れの中で特にやもめを中心とする女性たちにとっては、精神的支柱のような存在であったのでしょう。タビタが病のために死にました。彼女はその日埋葬されることなく部屋に安置されました。人々はなぜ彼女をすぐに埋葬しなかったのでしょうか。それは人々はリダの町で癒しの業をしたペトロを待っていたからです。

招かれてヤッファに来たペトロは、祈りにおいて自分が何をなすべきかを神に問うています。事を決められ、事をなさるのは神です。それゆえペトロは今、何よりも神の御心を問うのです。深い祈りの後、ペトロはタビタの遺体に向かって次のように呼び掛けています。「タビタ、起きなさい」。するとタビタは目を開き、ペトロの差し出す手を借りて立ち上がりました。タビタの生き返りが起こりました。これをなさったのは主なる神であり、また復活の主がペトロの手を通して働かれました。それゆえ、人々はこの出来事を通して「主を信じた」のです(42節)。ここでもリダにおいてと同じように、人々はペトロではなく、命を返してくださった神とよみがえりの主イエス・キリストを信じました。初代の信仰者において、健全な信仰が養われていることに、わたしたちは驚きを覚えさせられます。

ペトロは、アイネアとタビタそれぞれの名を呼んで「起きなさい」と命じました。全く同じ呼びかけ、同じ命令です。そしてわたしたちはこの呼びかけの言葉を聞くとき、主イエスが会堂長の娘に向かって、「タリタ、クム」「少女よ、起きなさい」と言われたあの言葉を思い出すのです(マルコ5章41節参照)。

その主は今も、さまざまな重荷や苦しみや悲しみで打ちひしがれ、倒れそうになっている人、いや既に倒れている人に対して、その人の名を呼びながら、「起きなさい」、「歩きなさい」と言われ、さらに「わたしがあなたと共に歩き、共に生きる」と言ってくださっているのではないでしょうか。その声を聞き取ることができるとき、わたしたちは立ち上がることができます。教会に属する者は、自らその主の声を聞き取るとともに、「起きなさい」、「立ち上がりなさい」と呼びかけてくださる主の御声を必要としている他の人々に、取り次ぎ、差し出し、それによってそれらの人々が生きる者となるように仕えることが求められています。教会には、その大切な務めがあることを忘れないようにしましょう。

「迫害者から伝道者へ」

使徒言行録9章19b-31節

教師・久野 牧

サウロは、ダマスコで復活の主との出会いによって洗礼を受けてキリスト者となりました。彼は数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいました。この数日間はこれからの生き方を神に問う「祈りの時」という意味を持っていました。彼はダマスコの会堂で、主イエスは神の子であり、唯一の救い主であることを宣べ伝えました。それが復活の主がお決めになった彼の新しい生き方だったのです。こうして彼は、「かなりの日数」(23節)にわたって、ダマスコでの宣教活動に力強く励みました。その間の働きが極めて熱心であったことは、その働きによってユダヤ人がうろたえたこと(22節)、さらにユダヤ人がサウロの殺害計画を立てるに至ったこと(24節)などから推しはかることができます。迫害者サウロが今は逆にキリストの宣教者となったことは、多くのユダヤ人にとっては到底許すことの出来ない彼の裏切り行為であったのです。サウロはキリスト者の命を狙う立場から、今は彼自身が自分の命を狙われる立場に変わってしまいました。

サウロに対する殺害計画を知った彼の弟子たちは、彼を連れ出して逃がしました。ダマスコを出たサウロは、その後エルサレムに帰りました(26節以下)。そこで彼はユダヤ人の二つのグループと接触します。その一つは、キリスト者の集団であって、その中心には使徒たちがいました。もう一つの集団はキリスト者に敵対している多くのユダヤ人たちです。それぞれの対面はどのようになったでしょうか。

サウロは、まずエルサレムにいるキリストの弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、初めは拒否的な反応を受けました(26節)。それは当然のことです。彼はエルサレムにいた時もダマスコでもキリスト者を迫害していた人物です。そのサウロが、これからは福音の宣教に仕えるので仲間に入れて欲しいと願ったところで、すぐにそのことが他の弟子たちに受け入れられるはずはありません。そうした中でサウロがエルサレムのキリスト者たちに受け入れられるために働いた人物がバルナバです。彼はサウロとキリスト者たち、特に使徒たちのとの間に入って、サウロの身に起こったことや、彼が神によって命じられて宣教の業に携わっていることを説明しました。それによってサウロは使徒たちに受け入れられることになりました。今新たな宣教の展開のためにバルナバという一人の器が神によって用いられています。もう一つの集団であるキリストを信じないユダヤ人たちへの人たちへの宣教はうまく行かず、彼らによってサウロ殺害計画が立てられたために、サウロは他の兄弟たちの助けを借りて、今度はエルサレムを離れることになりました。

こうした困難や危機的状況にもかかわらず、教会は進展しました(31節)。それはみ言葉に秘められている神の力が、それに敵対する力を圧倒したことによります。それと同時に、そのみ言葉に触れた者たちが、「主への畏れ」を抱き、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒言行録5章29節)という生き方を与えられたからです。今日の教会と信仰者においても常に維持され、強められなければならないものは、この「主への畏れ」です。この主への畏れは、み言葉への畏れから出てくるものです。礼拝ごとに耳を傾けるみ言葉の中に、主なる神ご自身が宿っていてくださるとの思いで、これからも畏れをもって礼拝を捧げ続けて参りましょう。それによって、教会の質は高められ、一人ひとりの信仰が豊かなものとされるでしょう。そして礼拝に集う他の人々が、「ここに神がおられる」との信仰に導かれるに違いありません。それがわたしたちの祈りです。