「礼拝から宣教へ」

使徒言行録13章1-12節

教師・久野 牧

新しい年の初頭から悲惨な出来事に見舞われた我が国ですが、わたしたちが住むこの世界に希望の光が差し込むと年となるように心からの祈りをささげながら、この一年の歩みを進めて行きたいと願います。今日は13章1-12節に描かれているアンティオキアの教会から学びます。この教会では、組織や体制が次第に充実していき、み言葉を説く教師が五人も与えられていました。彼らによってこの群れにみ言葉が語られ、教えられていたのです。教会で礼拝が捧げられていたある日、聖霊が礼拝者たちに「さあバルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」と告げました。神から託された仕事とは、外国伝道の働きのことです。選ばれたバルナバとサウロは、教会の人々によって頭に手を置かれて(按手)、聖霊の賜物が祈り求められました。

こうして二人は教会の信任を受けて異邦人への伝道者として任職され、宣教へと派遣されました。これが後に第一回伝道旅行と呼ばれるものとなりました。わたしたちはこの選びと任職と派遣という出来事が、礼拝の中で起こったことに注目すべきです。教会のすべての業は、礼拝から始まります。礼拝はいつも、この世に散らされた者たちが集められてくる側面と、集められた者たちが遣わされていく側面があります。教会はこの二つを軸として回転しています。

教会から派遣されたバルナバとサウロが最初に向かった地は、キプロス島でした。それは「聖霊によって送りだされた」(4)地でした。二人は各地のユダヤ人会堂で神の言葉を告げながら、キプロス島の首都であり、この島を支配していたローマ帝国の地方監督が駐在していたパフォスまでやって来ました。そこで一つの事件が起こりました。偽りの言葉を語る魔術師と神の真実の言葉を語る使徒たちとの間に対決が生じたのです。サウロは「聖霊に満たされて」(9)、魔術師に対して警告と宣告の鋭い言葉を発し、「時が来るまで日の光を見ないだろう」(11)と告げました。魔術師は目が見えなくなりました。神の言葉が彼を見えなくさせたということは、再び彼が見えるようになるには、神の言葉が彼に語られる必要があるということです。魔術師の身に起こった出来事を見、またバルナバやサウロたちから「主の教え」(12)、即ち福音や神の言葉を聞かされた総督は、信仰に入りました(12)。総督の上にも、聖霊なる神が働いてくださいました。こんにち、神の真理に対して見えなくなっている人々に対して手引きの役割を果たすのは、教会以外にはありません。

この出来事から、わたしたちはいろんなことを考えさせられます。その一つは今の時代においても福音が告げられるとき、この世界の魔術的なもの、呪術に近いもの、自然信仰に近いものとの対決が生じ得るということです。今日、科学・技術万能、コンピューター絶対の時代と言われても、依然として霊的能力や超自然的な力を持っていると自称する者に率いられる宗教集団が跋扈しています。占いや呪術に頼り、加持祈祷を求め、金銭をだましとられる人々も少なくありません。それらの人々の救いのために、教会は教会のみが語ることの出来る福音を差し出すことによって、仕えなければなりません。神の言葉に秘められている豊かな恵みや憐みや力によって、さまざまなものの捕らわれや呪縛の状況にある人を解放するのです。礼拝において、わたしたちのために仕えてくださった主イエスに繰り返し出会いながら、その主によってわたしたちは礼拝から遣わされ、人々の救いや癒しや解放のために働く、そういう一年としたいものです。