「ペトロに癒された人たち」

使徒言行録9章32-43節

教師・久野 牧

今日のテキストには、ペトロがエルサレム以外の地で行った癒しの出来事が記されています。その地はリダとヤッファです。リダはエルサレムの北西約40キロの町で、ヤッファはリダからさらに北西約18キロの地にある港町です。それぞれの町には、既にキリスト者の共同体が形成されていたことを示されます。

リダでペトロは、「中風で8年前から床についていたアイネアという人」に会いました(33節)。彼はリダの地のキリスト者の群れの一員でした。ペトロは、病の床にあるアイネアのもとに行き「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と命じています。ペトロは自分自身の力で病の人を癒すことができるとは考えていません。復活された主イエスの力に頼ってそのようにしています。アイネアはすぐに起き上がりました。それを見てリダの人々は、「主に立ち帰った」と記されています。この癒しの出来事を起こされたのは、復活の主キリストであると知って、人々はイエス・キリストを信じる者になった、ということです。

次に30節以下には、港町ヤッファでの出来事が記されています。ここに登場するのはタビタという「婦人の弟子」(36節)です。タビタは、主イエスを信じる人であり、群れの中で特にやもめを中心とする女性たちにとっては、精神的支柱のような存在であったのでしょう。タビタが病のために死にました。彼女はその日埋葬されることなく部屋に安置されました。人々はなぜ彼女をすぐに埋葬しなかったのでしょうか。それは人々はリダの町で癒しの業をしたペトロを待っていたからです。

招かれてヤッファに来たペトロは、祈りにおいて自分が何をなすべきかを神に問うています。事を決められ、事をなさるのは神です。それゆえペトロは今、何よりも神の御心を問うのです。深い祈りの後、ペトロはタビタの遺体に向かって次のように呼び掛けています。「タビタ、起きなさい」。するとタビタは目を開き、ペトロの差し出す手を借りて立ち上がりました。タビタの生き返りが起こりました。これをなさったのは主なる神であり、また復活の主がペトロの手を通して働かれました。それゆえ、人々はこの出来事を通して「主を信じた」のです(42節)。ここでもリダにおいてと同じように、人々はペトロではなく、命を返してくださった神とよみがえりの主イエス・キリストを信じました。初代の信仰者において、健全な信仰が養われていることに、わたしたちは驚きを覚えさせられます。

ペトロは、アイネアとタビタそれぞれの名を呼んで「起きなさい」と命じました。全く同じ呼びかけ、同じ命令です。そしてわたしたちはこの呼びかけの言葉を聞くとき、主イエスが会堂長の娘に向かって、「タリタ、クム」「少女よ、起きなさい」と言われたあの言葉を思い出すのです(マルコ5章41節参照)。

その主は今も、さまざまな重荷や苦しみや悲しみで打ちひしがれ、倒れそうになっている人、いや既に倒れている人に対して、その人の名を呼びながら、「起きなさい」、「歩きなさい」と言われ、さらに「わたしがあなたと共に歩き、共に生きる」と言ってくださっているのではないでしょうか。その声を聞き取ることができるとき、わたしたちは立ち上がることができます。教会に属する者は、自らその主の声を聞き取るとともに、「起きなさい」、「立ち上がりなさい」と呼びかけてくださる主の御声を必要としている他の人々に、取り次ぎ、差し出し、それによってそれらの人々が生きる者となるように仕えることが求められています。教会には、その大切な務めがあることを忘れないようにしましょう。