「山上での主イエスの輝き」

マルコによる福音書9章2~13節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスが弟子たちにご自身の受難と復活の予告をなさり、さらに自分の十字架を背負ってわたしに従ってきなさいと命じられたときから六日が経過しました。主は今、三人の弟子たちを伴われて山に登っておられます。そこで主イエスのお姿が変わり、また旧約時代のモーセとエリヤが現れるという現象が起こりました。これはいったい何を意味しているのでしょうか。

モーセは、旧約聖書の重要な要素の一つである「律法」を代表する者として登場しています。また、エリヤは同じように重要な「預言者」の代表です。またこの二人は、その死に関して不思議なことが伴っていたために、彼らは再びこの世に来るということがイスラエルにおいて信じられていました。そのような二人が主イエス・キリストの前に現れ、親しく語り合っている様子が展開されています。それによって、旧約聖書が目指していたことは、主イエスにおいて目に見える形となって表されたということが明らかにされています。旧約全体が指し示していたことは、新約のイエス・キリストにおいて成就したということです。ここに旧約と新約の連続性と関係性が明らかにされています。

目の前で起こっていることの意味を理解することの出来なかったペトロは、この現象がいつまでも続けばよいと考えました。その時、天からの声が響きました。それは「これはわたしの愛する子、これに聞け」というものでした。先に主イエスが洗礼を受けられた時には、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」(1:11)との声が天から聞こえました。それは御子イエスに対して語られたものでしたが、今回は弟子たちに向けて語られています。「これに聞け」と命じられています。それは、どのような状況にあってもあなたがたは、御心に敵う神の子イエス・キリストに聞き従えということです。これから主イエスの身に大きな出来事が起こる、また弟子たちの上にも思いがけないことが必ず起こる、しかしいかなる時にもこの主エス・キリストに聞き従いなさいと神は命じておられます。

なぜこの時、このような現象が弟子たちに示されたのでしょうか。それは、弟子たちが主と崇めるイエス・キリストは、苦しみに会い、十字架の上で死ぬことになっているが、それで終わらずに、復活の命に移されることも約束されていることを明らかにするためです。弟子たちの頭には、今は、つい先日聞かされた主の苦しみと死のことしかないかもしれません。しかし、主ははっきりとご自身の復活のこともお語りになっておられました。そのことに心を向けられないでいる弟子たちに、神は山の上での輝きに満ちたイエスのお姿、それは死に勝利されたお姿ですが、それを弟子たちに表すことによって、主の最後の様子を明らかに示しておられるのです。それによって、この主に從う者たちにも、同じように輝きに満ちた終わりの時が用意されていることを約束してくださっています。彼らも終わりの時に変容するのです。その約束を目に見える形で示されることによって弟子たちが徹底して主に從う生き方を貫く者となるようにと、励ましておられます。主に從う者たちには、希望に満ちた輝きが終わりの時に神によって備えられていることを教えられます。