「悔い改めて福音を信ぜよ」

マルコによる福音書1章14〜15節

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

荒れ野で40日間を過ごされた主イエスは、その後、本格的な宣教活動に入られました。そのきっかけとなったと思われる一つのことが14節の初めに記されている「ヨハネが捕らえられた」という出来事です。洗礼者ヨハネは神の言葉を語ることによって王に捕らえられました。それを知られた主イエスは、いよいよご自分が神のために働く時が来たことをお知りになったのです。神の救いの歴史の舞台に主イエスが登場されます。

ここで、ヨハネが「捕らえられた」という事実をもう少し掘り下げて考えてみましょう。そのことは、神の言葉を語ることによって主イエスも捕えられるかもしれない可能性があるということを示しています。しかし、主イエスはそれを恐れずに人々の前に現れ、神による救いを伝える働きを始められます。主イエスを突き動かしているのはご自分の思いではなく、神の御心のみです。

主イエスの第一声は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」です。最初の「時は満ち、神の国は近づいた」は事実の告知ですし、後半の「悔い改めて福音を信じなさい」は人々に対する招きと命令です。

「時が満ちる」とは神が定められた準備の時は終わり、神による救いの最終段階が主イエスとともに始まったということです。このことは、私たちにも起こります。準備の時、待つ時が終わり、決断し信じ始める時が必ず来ます。主イエスとの出会いが真に起こるその時が、決断の時、信じる時の始まりです。主イエス・キリストは、神の代理者として私たちの世界に来てくださいました。このイエス・キリストとの関係を結ぶことによって、神との関係の中に入ることができます。裏を返せば、主イエスを通してしか、神に至ることはできないのです。そういうお方として、父なる神は御子を送ってくださいました。主イエス・キリストとの現在の関係が、神との関係における将来を決定することになります。この時をわたしたちは逃してはなりません。

ではどうすればよいのでしょうか。主は言われます、「悔い改めて福音を信じなさい」と。悔い改めるとは、前回も考えましたが、「神に帰ること」です。神から遠ざかる方向に生きていた私たちが、向きを変えて、神の方に帰っていくこと、神のもとで生きようとすることです。それが悔い改めることです。そして福音を信じるとは、福音そのものであられる主イエス・キリストを信じるということです。主イエスのみが私たちの罪を赦し、新しい命を与え、私たちを神の子としてくださる唯一のお方であると信じることです。

悔い改めは、私たちが起こす行動というよりも、私たちを迎え入れようとしておられる神が私たちに送ってくださった賜物、贈り物です。誰もがその贈り物を主イエス・キリストを通して受け取ることができます。それゆえ、悔い改めよとは、厳しいおきて・戒めではなく、神が私たちのために開いてくださった本来の命への復帰の促しです。すべての人がその恵みに招かれています。教会はそのことを告げ広めていく務めを持っています。