「サウロの回心」

使徒言行録9章10-19節a

教師・久野 牧

サウロは天からの光に打たれて目が見えなくなり、食べることも飲むこともしないまま三日間祈って過ごしました。その祈りの中で、彼は一つの幻を見ました。その内容は、アナニアという人物がサウロのもとにやって来て、目が見えるようにしてくれる、それまで待つようにというものです。こうしてサウロは祈りをとおして、次に自分の身に起こることを待つ備えの時が与えられました。

ダマスコのアナニアとはどういう人物でしょうか。彼は、「弟子」と呼ばれています(10節)から、信仰者でした。アナニアに臨んだ主の言葉は、ユダの家にサウロという人物がいる、彼は今、目が見えなくなっていて、アナニアが来て手をおいて癒してくれるのを待っている、彼のもとに行け、というものでした。思いがけない主の言葉でした。彼はサウロがキリスト者を迫害している恐るべき人物であることを知っていました。それゆえ彼は躊躇しましたが、主は「行け」と命令を繰り返されるだけです。拒みようもない主の言葉に、彼は従いました。サウロのもとに行き、彼の上に手をおき、以前サウロがダマスコに来る途中で天からの光で倒れたときにサウロに語りかけたお方は、復活の主イエスであることを明らかにしました。そして自分がここに来たのは、サウロの目の癒しと、サウロの新しい働きのために必要な聖霊の賜物が彼に与えられるためであり、そのようにして彼が新しく誕生することに仕えることが目的である、ということを説き聞かせています。

サウロも先に見た幻で、アナニアという人物が自分のもとに来ることを知らされていたために、今、自分の身に起こっていることの意味が理解できました。その結果、彼の目は以前のように見えるようになり、さらに洗礼を受けるまでに至っています。こうしてサウロは、苦しみをとおして新しく生まれ変わりました。これから、主の僕としての彼の目覚ましい働きが始められることになります。

一方この後、アナニアは使徒言行録から姿を消します。このアナニアのように、わたしたちもそれぞれ、他の誰か特定の人の救いのために召し出され、神から用いられるということがあるかも知れません。一つのことのためだけであっても、この自分が神から必要とされることは、光栄なことです。

主イエスを救い主として信じる者たちを迫害していたサウロが、今度は自ら主イエスを救い主として証しする者として立てられ用いられ、多くの人々のもとへと遣わされます。主は、サウロのことを「わたしが選んだ器である」と言われました。誰もが、サウロと全く同じ方法で、同じ務めを持って、神の召しを受けるわけではありません。人それぞれにふさわしい方法で、神は選び、召し、用いられます。それに応じることは、苦しみを伴うことがあるでしょう。時には、恥をかかなければならないこともあるでしょう。しかしそのことが、神の国の宣教に役立てられることであれば、わたしたちはその重い務めを担う者でありたいと願います。

讃美歌339番4節の心をわたしたちの心としましょう。

「黄金(こがね)、しろがね、知恵も力も、献げまつれば、みな取り用い、
 我のこころを、みくらとなして、み旨のままに 治めたまえや」。

それは、「讃美歌21」(512番)では、次のように訳し変えられています。

「主よ、献げます、わしの愛を、知恵も力も宝もすべて。
 わたしのうちに、あなたが住んで、みむねのままに、用いてください」。

「復活の主とサウロとの出会い」

使徒言行録9章1-9節

教師・久野 牧

わたしたちの人生においては、人との<出会い>が大きな転機となることがあります。人との出会いに属するものとして、主イエス・キリストとの出会いがあります。キリストとの出会いが、ひとりの人間の生き方を大きく変化させたということは、数限りなくあります。新約聖書に記されているイエス・キリストと人間との出会いの物語でひときわ目立つのは、サウロ(後のパウロ)の場合です。彼は主イエスとの衝撃的な出会いを与えられ、それによってその生き方を180度変えられた人物です。そのことを記しているのが、使徒言行録9章1-19節で、今日はその前半の部分である1-9節に注目しましょう。

サウロは当初、エルサレムに生まれたキリスト者や教会にとっては、恐るべき迫害者でした。彼は大祭司の「キリストを信じる者たちを捕らえて、エルサレムに連行してよい」という許可証を手にして、キリスト者への迫害行動をエスカレートさせていました。彼はイスラエルの神を心から信じていた熱心な信仰者でしたが、十字架につけられたイエスを救い主として信じることはできず、そのためキリスト者を撲滅することが神の御心であると確信していました。サウロの迫害行為は、今、ダマスコにあるユダヤ人会堂に逃げ込んだキリスト者たちに向けられています。

しかしダマスコに着く直前に思いがけない出来事がサウロを襲いました。それが3節以下に記されている出来事です。突然天からの鋭い光がサウロを照らし、衝撃を受けた彼は地に打ち倒されました。それと同時に、天からの声がサウロの耳に響きました。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」(4節)。それに対してサウロは、次のように答えています。「主よ、あなたはどなたですか」と。この「主よ」という呼びかけは主イエスに対するものではなく、一般に自分を超えた存在や上位の者に対する敬称として用いられるものです。サウロに天からの声がさらに次のように語りかけられています。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(5-6節)。

この現象の中で、自分に働きかけておられるお方がどなたであるかはまだサウロには分かっていません。そのことが彼に理解できるようになるためには、いましばらくの時が必要なのです。その「しばらくの時」が、見えない状態の中で、食べることも飲むこともしないで過ごした三日間でした。その時、彼の中にある古いものが死んで、新しいものが生まれてくるための神による再創造の業がなされていました。その苦しみの時を彼はどのように過ごしたでしょうか。「今、彼(サウロ)は祈っている」(11節)。彼は多くのことが出来なくなった中で、祈りに集中しているのです。何を奪われても、神に対して祈ることはできます。如何なる時にも神への祈りは、決して奪われることはないのです。それは神からの賜物なのですから。

最後に、サウロの耳に聞こえた「なぜ、わたしを迫害するのか」、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」という言葉に思いを寄せましょう。これは主イエスの声です。サウロが実際に迫害していたのは、キリスト者と教会でした。しかし、復活の主は、「あなたはわたしを迫害している」と言われます。主イエスは御自身と、御自身を信じる信仰者たちやその群れである教会とを一体化しておられるのです。このように主は、わたしたちの苦しみをご自身の苦しみとして、わたしたちの痛みをご自身の痛みとして捉えてくださるお方です。わたしたちは主イエスと生命的な結びつきの中におかれていることを確信し、感謝しましょう。

「聖霊の真の力」

使徒言行録8章14-25節

教師 久野 牧

サマリアにおいてフィリポは多くの人に洗礼を授けました。それを知らされたエルサレムの使徒たちは、サマリアの新しい信仰者の群れを整えるために、ペトロとヨハネの二人を遣わしました。その派遣の目的は、15-17節に記されています。サマリアの新しい信仰者たちはイエスの名によって洗礼を受けたのですが、聖霊の賜物はまだ誰の上にも与えられていなかったため、聖霊の賜物が彼らに与えられるようにと、二人の使徒が遣わされることになった、という次第です。

洗礼を受けることと、聖霊がその人に降ることとの関係について聖書はどのように語っているでしょうか。洗礼はイエスを主と告白する者に与えられる恵みのしるしです。その時聖霊がその人に降っていることは、次のパウロの言葉からも明らかです。「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とは言えないのです」(コリント一、12:3節)。それではフィリポから洗礼を受けた人々に関して、「聖霊はまだだれの上にも降っていなかった」(16節)とはどういう意味なのでしょうか。彼らの洗礼は、主の名によってなされる洗礼の予備的なものだったのかも知れません。ペトロたちが彼らの上に手をおいて祈ったときに、彼らは聖霊を受けた出来事は、フィリポによるものとは異なっていました。人々は聖霊を受けて信仰の新たな段階へと導かれました。彼らに主イエスのために働くに必要な賜物が与えられました。フィリポの洗礼とペトロの洗礼の違いを正確に説明することは難しい面がありますが、初代教会の時代は、今日とは異なることが起こる特別な時であったように思わされます。今わたしたちに求められている祈りは、癒しを行ったり、異言を語ったりすることのできる特別な賜物を求めることではなく、主イエス・キリストこそすべてのものの主であり、唯一の救い主であられるということを、いかなる時にも告白し、人々に証しすることのできる大胆さ、勇気、そして言葉を求める祈りです。

ところでサマリアに来たフィリポから洗礼を受けた人の中に、魔術を行っていたシモンがいました(9節以下)。彼はペトロたちが人々の上に手をおいて祈ると、聖霊が降るのを見て、自分にもその力が与えられたいと願いました。それは自分の欲得や栄誉のためでした。彼は聖霊を自由に操りたいと考えたのです。しかし聖霊は、人が操るものではなくて人が従うべきお方です。人が聖霊に命じるのではなくて人は聖霊なる神が命じられるままに動き、それに従うのです。聖霊に対する致命的な過ちを持っていたシモンは、ペトロによって厳しく叱責され、過ちを指摘され、滅びさえも告げられることになりました(20節以下参照)。シモンはペトロが告げる裁きの言葉や、悔い改めを求める厳しい言葉に恐れをなして、自分の過ちに気が付きました。そしてすぐに赦しを求めています。

ところでわたしたちが洗礼を授けられたという事実は、すでに聖霊なる神の支配と守りの中に移された、ということです。それゆえに、祈り求める神の子たちに、聖霊なる神はふさわしい行動を起こさせてくださるに違いありません。聖霊なる神は、あるときにはわたしたちを熱心な信仰の行為へと向かわせ、またあるときには静かな祈りと瞑想へと導いてくださいます。そのようにして、わたしたちをキリストの真実なしもべとして造り上げてくださるのです。聖霊のその働きはわたしたちの生涯にわたって続きます。新しい宣教の地サマリアにおいて多くの受洗者が与えられたように、この佐賀の地でも、「イエスこそ主なり」と告白して洗礼を授けられる人たちが生まれることを祈り続けましょう。熱心に求める者とその群れに、聖霊なる神は人知を超えた働きをしてくださるに違いありません。

「ステファノの説教と殉教の死」

使徒言行録7章44-60節

教師・久野 牧

ステファノは捕らえられた身でありながら、エルサレムの最高法院で演説(説教)をしました。その記録が、7章1節から53節までに記されています。今日はその最後の部分(44―53)にまず注目してみましょう。彼はイスラエルの民が荒野の旅を続けていたときに、礼拝所として幕屋を建てたことに触れた後、パレスチナに定住してからは、第三代の王ソロモンがエルサレムに神殿を建てたことまでを語っています。しかし、神との関係は神殿を建てることによって終わってしまうのではなくて、神殿での神礼拝を日常において徹底することが重要なことでした。「いと高き方は、人の手で造ったようなもの」(48節前半)に閉じ込められてしまうお方ではないからです。

しかし、イスラエルの民の現実は神への真実を貫くことからはほど遠く、常に神の御心に背くことを繰り返し行っていました。そうした民のことをステファノは、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人」(51)と痛烈に批判しています。それは心と耳が幕で覆われているために、神のみ言葉を正しく聞き取ることが出来ず、常に神に逆らうことを行っているということです。そのため彼らの先祖は、旧約の時代には、神の言葉を語った預言者たちを殺し、また新約の時代に入ってからは、預言者たちが預言した「正しい方」(52)、すなわち救い主イエス・キリストを殺してしまったと、彼らの罪を暴き出しています。ステファノはそのような彼らの罪が、今はキリストの弟子であるわたしを迫害するという形で再び表されている、と指摘しています。

そこまで語ったところで人々は、ステファノにそれ以上語ることを許さず、激しい怒りの内に彼に襲いかかり、都の外で石を投げつけて、ついに彼を殺してしまいました。ステファノは殉教の死を遂げたのです。彼は殺される痛みと苦しみの中で、「天を見つめ」(55)、神の右におられる主イエスに自分のすべてを委ねて眠りにつきました(60)。そのようにして死んでいくステファノがそのとき口にしたのは二つの祈りでした。一つは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(59)と、もう一つは、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(60)です。この二つの祈りは、次の主イエス・キリストの十字架上の祈りに似ていることに多くの方が気づいておられるでしょう。

「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23:46)。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。

主イエスは父なる神に呼びかけ、ステファノは神の右におられ主イエスに呼びかけています。こうして彼は死のときにも傍らにいてくださる復活の主イエスを見つめることによって、希望と慰めの内に死に向かうことが出来ました。それは、わたしたちの死においても同じことです。わたしたちが信仰者として地上の生を終えるとき、それがどのような死であっても、復活の主がわたしたちの傍らにいてくださり、天の神のもとへと導いてくださいます。この幸いをわたしたちは、ステファノの死から示されます。わたしたち信仰者は、孤独の内に死んでいくのではないのです。わたしたちの唯一の慰めは「わたしが生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであること」(『ハイデルベルク信仰問答』)です。

「七人の奉仕者の選出」

使徒言行録6章1-7節

教師 久野 牧

エルサレムに建設された初代教会は、宣教活動によって弟子たちの数、すなわち信仰者の数が増えて行きました(1節)。宣教の実が実っているのです。そのように順調な歩みを続けているように見えた教会の中に、今、一つの問題が生じています。それは教会内の二つのグループの間に起こったことでした。

二つのグループの中の一つは、「ギリシア語を話すユダヤ人」たちです。彼らは、もともとユダヤ人なのですが、両親あるいは祖父母たちの時代に外国に移り住んだために、母国語のヘブライ語を話すことが出来ず、ギリシア語(外国語)を話す人々でした。彼らは今エルサレムに戻って、信仰者となっています。他のグループは、「ヘブライ語を話すユダヤ人」で、先祖以来イスラエルの国に住み続け、ヘブライ語を話すユダヤ人で、ギリシア語はあまり理解できなかったかも知れません。前者は少数のグループであり、後者は多数のグループです。

その当時、教会においては貧しい人々に食料や物資の配分がなされていました。それは、公平・平等が原則です。しかし実際は少数派のギリシア語を話すやもめたちは、ヘブライ語を話せないこともあって不利益を受けることがありました。そのことに対する苦情が、教会の中で公になって来たのです。

その問題は指導者である使徒たちの耳に入りました。彼らはそれを軽く考えず、解決のために立ち上がりました。彼らは信者たちを集めて、二つのことを述べました。一つは、使徒たちはこれまで、み言葉の宣教の務めだけではなく、食料の分配のことにも携わってきた、しかし今後は分配のことは他の人に任せて、自分たちは宣教と祈りという本来の務めに専念したい、ということです。そうすることによって、主から託されている教会の主たる務めを推し進めて行きたいと考えています。

そのために第二のこととして、今後は食料の分配は、それに専念する人たちを選び出して、彼らにその仕事を任せよう、ということです。その選出に当たって、使徒たちが出した条件は、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選ぶ」(3節)というものでした。祈りつつ聖霊の賜物を求める人、他の信仰者たちに心遣いの出来る人、「仕えられるよりも仕えること」ができる人を選ぶようにと使徒たちは求めました。こうして選挙が行われ、その結果、七人が選ばれました。

その人たちの名前は5節に記されています。わたしたちには分かりにくいのですが、これらの人々の名は皆、「ギリシア語を話すユダヤ人」に属する少数者のものと考えられています。不公平を解消するためになされた選挙において、このような結果が得られたのは、聖霊の導きがあったからこそです。この七人の人たちは、使徒たちによって按手のために手をおかれ、必要な聖霊の賜物が与えられるようにと祈られることによって、その務めにつきました。今日の執事職の始まりをここに見ることが出来ます。

教会内に問題が生じたとき、それは教会の危機となることもあれば、飛躍のときともなります。エルサレム教会では、信仰者たちが皆召集されて教会会議が開かれ、それによって良い結果を与えられました。7節に教会のその後のことが喜ばしく報告されています。主の名によって集い、主の御心を求めて祈り、協議するとき、必ずそこにみ旨に適った結論が与えられたり、また向かうべき方向性が示されます。今日の教会にとっても、このことはとても大切なことであることを教えられます。

「人間に従うよりも、神に従え」

使徒言行録5章12-32節

教師 久野 牧

使徒ペトロたちは、エルサレム神殿のソロモンの回廊で人々に福音を説いていたとき、祭司長たちや神殿守衛長によって捕らえられて、牢に入れられました(4:1-3)。一度は使徒たちは釈放されたのですが、そのあと再び彼らは同じ場所で、み言葉を説き、癒しの業を行いました(5:12)。権力や敵対者を恐れない彼らの勇気ある姿をそこに見ることが出来ます。

12-16節を見ると、使徒たちの周りには多くの人々が集まっていたことが分ります。その中には、使徒たちを遠くからただ見続ける人たち、使徒たちを称賛するだけの人々、主イエスを信じる者とされた人たちなどがいました。さらに17節では、彼らに敵対する者たちが再び現れて、使徒たちを捕らえ牢に入れたのです。彼らは使徒たちに対するねたみに燃えていました(17)。最初の逮捕は、使徒たちが主イエスの復活を宣べ伝えていたことがその理由でしたが(4:2参照)、今回はねたみという人間的な感情がその背景にあります。福音が説かれるところでは、さまざまな反応があります。そして使徒たちの時代には、とりわけ力づくでその活動を止めさせようとする者たちが必ず現れ出て来たことを知ることが出来ます。

前回の捕らわれの時には、使徒たちは「今後イエスの名によって話したり教えたりしてはならない」という脅し付きで釈放されました。しかし今回は、主の天使がやって来て使徒たちを解放しました。そして次のように命じたのです。「この命の言葉を民衆に告げなさい」(20)。彼らは主の天使が命じるままに、主イエス・キリストが唯一の救い主であることを再び前回と同じ場所で語り始めたのです。天使による解放は、使徒たちをより安全な場所にかくまうためのものではなくて、み言葉を語らせるためのものでした。主イエスのなさることは、人知を超えています。

神殿当局者たちはそのような使徒たちを再び拘束して、最高法院で裁判にかけました。彼らは強い調子で尋問しています。「イエスの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか」(28節参照)。それに対して使徒たちはこのように答えましした。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(29)。これは第一回の逮捕の時にも彼らが口にした言葉でした(4:19参照)。この世の権力者たちは「語るな」と命じています。一方、主なる神は天使を通して、主イエス・キリストについて見聞きしてきたことをありのままに「語れ」と命じています。正反対の命令が使徒たちの耳に響いてきます。そうした時の彼らの行動の規準はいつも、「人間に従うよりも、神に従わなくてはならない」ということでした。それが「キリストの証人」としての唯一のあり方です。その姿勢が貫かれることによって、福音宣教の業は進展し、各地に教会が建てられることに結びつきました。

どのような時代であっても、キリストを信じ、キリストに従う者がとるべき姿勢は、使徒たちによって示されています。その姿勢を貫こうとするときに、それに必要な力も勇気も、そして語るべき言葉も、主なる神は必ず与えてくださいます。それが主の約束です。わたしたちの教会も、その主の約束を信じて、使徒たちに倣う教会としての歩みをこの地で強めて行かなければなりません。今日においても、教会には様々な圧力が見える形で、あるいは見えない形で加えられます。そのような時、わたしたちはエルサレム神殿での使徒たちの毅然とした姿を思い起こし、それに倣いたいものです。そうするとき、わたしたちもこの時代における「キリストの証人」としての働きを、力強くなすことが出来ます。

「神を欺く罪-アナニアとサフィラ-」

使徒言行録5章1-11節

教師 久野 牧

エルサレムに形成された初代教会は、信仰者のそれぞれが自分の持ち物を教会のために差し出して、それを共有し合う共同体としての歩みを始めました。なかにはバルナバのように自分の畑を売って、その代金のすべてを教会に献げた人もいました。そのような教会の中で、一つの悲劇的出来事が起こりました。それはアナニアとサフィラ夫妻を巡ることでした。彼らもバルナバのように、自分たちの土地を売って、その代金を教会に献げました。しかし彼らの場合、すべての売上金を献げたのではなくて、「代金をごまかしてその一部を持って来た」のです(5章1節)。つまり、土地を売った代金のうち、ある程度の部分を自分たちの懐に入れて、その残りを、これが代金のすべてであるかのように献げたのです。

このことがペトロの察知するところとなりました。ペトロはまず夫アナニアに事実を確認しました。そしてその行為は、「人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と厳しくとがめたのです(5章4節)。その言葉の後、アナニアは倒れて、息が絶えてしまいました。しばらくして、妻のサフィラもペトロからの質問を受けて偽りの答えをしました。その結果、彼女も倒れて息が絶えました。なんという悲惨な出来事が起こったことでしょうか。

これには理解しがたいことがいくつかあります。そのためにアナニアとサフィラ夫妻に対する同情論も教会の歴史において生じてきました。一つの疑問は、自分の土地を売った代金の一部を自分のためのものとすることは、許されないことなのかということです。それは本来許されることでしょう。しかしこの夫婦の場合、教会に献げたものは土地を売った代金のすべてだという偽りを言ってしまいました。彼らは正直に言えばよかったはずですが、そうはしませんでした。そこに大きな罪があるのです。そのことをペトロは、「あなたがたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」という言葉で彼らの偽りの行為の本質を糾弾しています。教会に不義や偽りや虚栄が入り込んではならない、ということが示されます。

その偽りの結果二人とも倒れて息絶えたのですが、ここで次の疑問が生じます。それはペトロが二人を打ったのだろうかということです。しかし聖書はそうは記していません。彼らはただ倒れて息絶えたと記されいるだけです。それはつまり彼らは神によって打たれたということを示唆しています。神の厳しさが彼らに臨んだのです。わたしたちはこの出来事をそのままに受け入れるほかありません。

さらに彼らに悔い改めや赦しの機会が与えられなかったことに対して、気の毒な思いを持つ人もいることでしょう。確かにそうかも知れません。しかしこれから大きく成長していくべき生まれたばかりの教会が、最初からその姿勢をあいまいにしたまま歩みを続けることは、主なる神がお許しにならなかったのです。ローマの信徒への手紙11章22節に次のように記されています。「神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては、厳しさがある…」。その神の厳しさが、教会を真実な教会として形成していくのです。

教会は神の神殿であり、神の霊が住んでおられるところです(コリントの信徒への手紙一、3章16-17節)。この神殿を人間の不正や偽りによって汚したり、壊したりすることは許されません。そのことを教えるために、神は二人に対してこのように厳しく臨まれたのでしょう。エルサレム教会はこの悲惨な出来事から多くを学び、姿勢を正すことが求められています。

「信者たちの持ち物の共有」

使徒言行録4章32-37節

教師 久野 牧

ペンテコステ以後、主イエスの弟子たちを中心にして「信じた人々の群れ」(32節)が形成されました。これは、まだ組織や制度は整っていませんが、キリストの体である「教会」が形成されたということです。その特質は、次の四つの項目にまとめることが出来ます。

(1)彼らは心も思いも一つであったこと(32節)
(2)彼らは持ち物を共有する集団であったこと(32節)
(3)この群れを率いる中心的立場にいた使徒たちは、大いなる力をもって、主イエスの復活を証しし続けたこと(33節)
(4)キリストを信じるこれらの人々は、他の人々から非常に好意を持たれていたこと(33節)

このなかで特に二つのことについてさらに考えてみましょう。その一つは、信じる人たちが「心を一つにしていた」ということです。この語は使徒言行録の著者ルカがよく用いるものですが(4章24、32節、5章12節)、内容的には、耳を傾けること、祈りをささげること、讃美を歌うことにおいて、皆同じ方向を向いていたということです。彼らの耳と目と口は、復活の主イエスに向けられていました。彼らは共通のみ言葉と教えに耳を傾け、共通のお方に信仰の眼差しを向け、共通のお方を賛美しつつそのお方を人々に宣べ伝えました。また、パンを裂くことを通して共通のお方の命に触れることが出来ていました。そのことが、彼らが心を一つにすることが出来た最大の要因です。

そしてそのような彼らの一致は、一丸となって復活の主イエス・キリストを群れの外にいる人々に宣べ伝え、証しする行為となって表れ出ました。それによってさらに主イエスとの出会いを与えられた人々が、悔い改めを促され、教会へと導かれました。それは熱狂的でも狂信的でもなく、確信をもって誠実になされたことでしょう。それが、この群れが、外の人々から好意を持たれることに結びついています。彼らは信仰に生きることによって、キリストの善き香りを放っていたのです。

もう一つ注目しておきたいことは、信じた人たちが財産を共有していたということです。彼らの中には富んでいる人もいたでしょうが、多くは貧しい人々であったにに違いありません。それらの人々が心を一つにして信仰共同体を形成していくとき、強制や命令によるのではなく、自然なかたちでそれぞれが自分の持っているものを差し出して共有したり、分配するということがなされたのでしょう。それも思いが一つにされていたからこそできたことでした。しかしこのような財産共有の共同体については、使徒言行録においてこのあと記されるということはほとんどありません。逆にそのことについては語られなくなります。それは財産共有の共同体という形が長く続かなかったということかも知れません。このことについては丁寧な考察が必要ですので、今回はこれ以上触れないことにいたします。

最後にキプロス生まれのユダヤ人であるヨセフ、あるいはバルナバと呼ばれる人の教会への献げものについて記されています。自分に与えられた財産を、教会のためにすべて献げることによって自分自身を献げようとすることは、今日でもあり得ることです。しかしそれは、今改めて社会問題となっている旧・統一教会における献金とは全く質が異なるものであることを、わたしたちははっきり認識しなければなりません。今日、教会において献金について丁寧な説明がなされることはとても大事であることを思わせられます。 

「隅の親石となられた主イエス」

使徒言行録4章1-12節

教師 久野 牧

ペトロとヨハネが足の不自由な人を癒した後、多くの人々が二人のもとに集まってきました。二人は、この出来事は、自分たちの人間的な力によるものではなくて、復活の主イエス・キリストの力によるものであることを、彼らに説明しました。そしてこの主イエス・キリストこそが、イスラエルの人々が長い間待ち望んできたメシア(救い主)であることを証ししたのです。

このことは神殿内で起こりました。そのために神殿のすべてのことに責任を持っている祭司たちや神殿守衛長、サドカイ派の人々が不安や怒りを覚えて、二人を捕らえて牢に入れてしまいました。彼らは多くの人々が二人の周りに集まっていることから、神殿内の秩序のことを心配したのかも知れません。また取り締まりに来たのが復活を信じないサドカイ派の人々が多かったことを考えると、主イエスの復活を力強く証しするペトロたちの教えを、彼らが到底受け入れることが出来なかったということも、二人が捕らえられた理由であったことでしょう。

捕らえられた二人は、次の日エルサレム議会が招集されて、裁判にかけられました。エルサレム議会は、最高裁判所の働きもしていました。議員たちは二人に、「お前たちは何の権威によって、また誰の名によって、こういうことをしているのか」と問うています。つまり、足の不自由な人を癒したこと、そして多くの民衆に向かって、イエス・キリストこそメシアであると説いているのは、どのような権威に基づいて行っていることなのかを尋問しています。彼らは、ペトロとヨハネの背後にいる者はいったい何であるかを確かめようとしているのです。

それに対してペトロは「聖霊に満たされて」(8)語りました。「これは先ごろ、イスラエルの人々が、神を冒涜する者として十字架の死へと追いやった神の子、ナザレの人、イエス・キリストによるものである」とはっきりと述べています。その際ペトロは、旧約聖書の詩編118編22節の「家を建てた者たちによって捨てられた石が、新しい家の親石・土台となった」という比喩的言葉を引用して、これはイエス・キリストのことを指しているのだということを明らかにしています。つまり、詩編の句が預言していることが、イエス・キリストによって成就したということです。神の救いの御計画が、今こういう形で現実のこととなったことを証ししています。議会の人々もイスラエルの人々も、初めて聞くこのことに、大きな驚きを覚えたことでしょう。人間の過ちを用いてまでも、ご自身の救いの御計画を罪人たちのために遂行してくださる神の憐みの大きさが、わたしちの心を捕らえます。ペトロたちは旧約聖書との関係にも触れながら、この主イエス・キリスト以外に、わたしたち罪人を救い得るお方はいない、と力強く宣言しています。少しの陰りもないイエス・キリストを証しする言葉を、わたしたちはここに聞くことが出来ます。

このような大胆な発言は、主イエスがかつて弟子たちに向かって「あなたがたが裁判の席に立たされることがあっても、わたしがあなたがたに語るべき言葉を授けるから、心配するな」(ルカ21章12-15節)と約束されたことが、そのとおりに起こっているものであることを、わたしたちはここに見ることが出来ます。主イエスの約束は必ず果たされます。そしてこの約束は、わたしたちにも与えられていると信じてよいのです。どんな場に立たされても、わたしたちには主イエスを証しする言葉と力と勇気とが、聖霊によって与えられます。そのことを信じて、わたしたちも恐れなく、復活の主イエス・キリストを証しする者としての歩みを続けて行きましょう。今日、教会の存在意義が強く問われています。

「命への導き手である主イエス」

使徒言行録3章11-26節

教師 久野 牧

今日のテキストは、先月の足の不自由な人がペトロとヨハネによって癒された物語の続きで、その出来事に対する人々の反応と、それを巡って語ったペトロの説教が記されています。この出来事を目撃した群衆は、こうしたことが出来る弟子たちはいかなる人物なのかと大きな関心をもっています。弟子たちはこの出来事がどうして起こったのかを説明して、正しい理解を与えることの必要性を覚えるとともに、彼らが向けている自分たちへの関心を、復活の主イエスに向き変えなければならないとも考えています。そのために、ペトロは神の御計画について語ります。

ペトロは初めに否定的な面から語っています。それはこの人が癒されたのは、ペトロたちが持っている人間的な力によるものではないということです。そして人々が真に注目すべきものとして、この出来事の中心に立っておられる目に見えない主イエスを指し示します。さらにこのお方が、自分にとってどのような存在であるかを一人ひとりが真剣に問うように求めるのです。主イエスの力が発揮されることになったのは、癒された男の人の中にある小さな一途な信仰と、主イエスを絶対的に信じる弟子たちの信仰によります。ペトロは何とかして、その信仰を通して働いてくださる復活の主イエス・キリストに、人々の目を向けさせようとしています。

主イエスについて語るとき、ペトロは旧約時代のことから説き明かします。イスラエルの人々が信じている神は、時が満ちて救い主としてイエス・キリスト遣わされた。しかし人々がその主イエスを十字架の死に追いやった事実を述べています。これによってイスラエルの人々が犯した大きな過ちを確認しています。これはその後に続く神の恵みに満ちた事柄へと人々を導くために、どうしても見逃すことが出来ない歴史的事実なのです。次に神は人々が死へと追いやったイエスを、死者の中から復活させられた、と確信をもって語っています(15節)。人々が拒絶し、死の世界へと追いやった神の僕を、神は死者の中からよみがえらせて、人の罪や死の力にまさる神の力をお示しになられました。それによって大きな罪を犯したイスラエルの人々に対する神の愛をも示されたことを、ペトロは強調しています。その神の愛の生きた証拠が、足の不自由な人が癒された出来事である、と訴えています。

説教の第二段階において強調されていることは、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて(神に)立ち帰りなさい」の言葉につきます。そうすれば神は必ず赦してくださると確信をもって語っています。それが神の救いの御計画であることを旧約聖書との関係で説いています。さらにイスラエルの民が神に立ち帰ることによって、イスラエル自身が終わりの裁きの時に備えることになると同時に、この世界をも終わりの時に備えさせることになるのだ、ということが20節以下で展開されています。ペトロは人々に、終わりの時への備えは、何よりもイスラエルから始められるべきであると、「祝福の基」としての自覚を促しているのです。

ところで教会は新しいイスラエルと呼ばれます。歴史上のイスラエルが実際には果たすことができなかった務めを果たすために、神は新しいイスラエルとして教会を招集されました。多くの命が損なわれ、奪われているこの時代の中で、真の「命への導き手」(15節)である主イエスへの立ち帰りと信仰こそがこの世の祝福と希望の唯一の拠り所ある、と語るペトロの言葉は、まずわたしたちがしっかり聞いて、次に確信をもってこの世界に語らなければならないものです。佐賀の地において集められた新しいイスラエルとしてのわたしたちの教会は、主のご委託の務めを果たすために真剣に祈りつつ、務めに全力を傾けたいと願います。