主日礼拝 2023.04.23

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    栗林 聖子

前奏
招詞詩編85篇9節 (旧約p922)
讃美歌13 こころのよろこび
祈祷
聖書使徒言行録9章19b~31節 (新約p230)
信仰告白使徒信条
讃美歌217 あまつましみず
説教「迫害者から伝道者へ」
(原稿)久野  牧  (代読)栗林 恵一
祈祷
讃美歌321 わがしゅイエスよ
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄541 ちちみこみたまの
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.04.16

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編9篇20~21節 (旧約p841)
讃美歌8 きよきみつかいよ
祈祷
聖書マタイによる福音書6章10節 (新約p9)
信仰告白使徒信条
讃美歌140 いのちのいのちに
説教「叶えてください、あなたの御心が、天のように地にも」
李 炳斗 下関教会牧師
祈祷
讃美歌285 しゅよみてもて
聖餐式202 くすしきみすがた
讃美歌202 くすしきみすがた
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄545 あまつみたみも
祝祷
後奏

主日礼拝 2023.04.09 / イースター・召天者記念礼拝(合同)

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞イザヤ書53章11~12節 (旧約p1150)
讃美歌148 すくいのぬしは
祈祷
聖書詩編30篇1~6節 (旧約p860)
ヨハネによる福音書20章11~18節 (新約p209)
信仰告白使徒信条
讃美歌294 みめぐみゆたけき
説教「“無い”から“在る”へ」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌154 ちよこえたかく
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「罪の世に勝利する信仰」

 (棕梠の主日礼拝)

ヨハネの手紙一、5章1-5節

教師 久野 牧

今日は主イエスが十字架の苦しみにあわれ、死へと追いやられたことを覚える受難週の初めの日、棕梠の主日です。今日取り上げるヨハネの手紙一、5章1-5節には「悪の世に打ち勝つ信仰」との小見出しがあります。「世に打ち勝つ」とはいかなる意味でしょうか。それについて御言葉に耳を傾けましょう。主の十字架の苦しみとわたしたちの信仰や救いとの関係について、明らかにされるに違いありません。

ここに記されていることは第一に、神から生まれた人は世に打ち勝つということです(4節前半)。5節ではそのことを逆の面から語っています。「だれが世に打ち勝つか」との問いを出して、その答えは「それはイエスが神の子であると信じる者である」です。その二つのことから言えることは、「神から生まれた者」とは、イエスが神の子でありメシアであると信じる者ということです。ここで強調されていることは、イエスを神の子と信じ、神からの唯一のメシア(救い主)として信じる者は、神から生まれた者と言われるほどに、神に属する者とされている、ということです。それは、その人には信仰によって、神との間に決して切れることのない結びつきが与えられている、ということを意味します。さらにその人には、悪の世に打ち勝つ勝利が神から約束されている、勝利が与えられている、とまで述べられています。ここで言う勝利とか、世に勝つということは何を意味しているのでしょうか。

まず「世」とは何か、それは神の愛の対象としての人間、神が救いを与えようとしておられる相手としての人間のことです。しかしその世はヨハネによる福音書15章18節によれば、「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」と記されているように、神と御子キリストに敵対するという一面を持っています。その結果は、人を死と滅びの世界へ陥れることです。神はそのような世をそのままにしてはおかれません。神は救い主を送って、そうした悪しき力の支配下にある世に生きている人間を、御自身と結びつけることによって人を悪しき世から切り離し、新しい命の世界で生きる者としてくださいます。それが救いです。そしてそのことが、「神から生まれる」ということの内容です。かつては死に向かう世界に生きていた者が、キリストを信じる信仰によって死から命へと移されるのです。それがここで言われる「勝利」です。それによってわたしたちは、死を超えた希望の中で地上の生を全うすることができるものとされます。十字架において、わたしたちに代わって死んでくださったイエスを、唯一の救い主として信じる者には、究極的に、罪と死に対する勝利が約束されています。これこそが福音であり、この約束こそがわたしたちに慰めと平安をもたらすのです。

しかしわたしたちを取り巻く現実は、「勝利」と言われることからほど遠いものであると叫びたくなる状況です。にもかかわらず、わたしたちの世界の現実よりも確実に、力強く、聖書は主イエスの勝利を宣言しています。その根拠は、主が悪や罪の結果としての死を打ち破ってよみがえられたことです。罪の力、死の力が最後的なものではなく、それを打ち破る死の克服の出来事、すなわち復活が、主に結びつく者にもたらされる最後の事柄です。勝利の主イエスは、「わたしのもとに来い」と招き、「わたしを信ぜよ」と命じておられます。「わたしの勝利はあなたのためのものだ」、と語りかけておられます。それゆえ大切なことは、一筋に勝利の主イエス・キリストに向かっていく信仰こそがわたしたちの希望の基となるとの確信です。勝利の主は、すべての人にご自身の勝利を分け与えようとしておられます。その主の御心に応えて働くのが地上の教会の務めであり、責任です。

主日礼拝 2023.04.02

開会     10時15分
司会    栗林 聖子
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞イザヤ書40章28~31節 (旧約p1125)
讃美歌11 あめつちにまさる
祈祷
聖書ヨハネの手紙一5章1~5節 (新約p446)
信仰告白使徒信条
讃美歌139 うつりゆくよにも
説教「罪の世に打ち勝つ信仰」
(原稿)久野  牧  (代読)栗林 聖子
祈祷
讃美歌136 ちしおしたたる
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「サウロの回心」

使徒言行録9章10-19節a

教師・久野 牧

サウロは天からの光に打たれて目が見えなくなり、食べることも飲むこともしないまま三日間祈って過ごしました。その祈りの中で、彼は一つの幻を見ました。その内容は、アナニアという人物がサウロのもとにやって来て、目が見えるようにしてくれる、それまで待つようにというものです。こうしてサウロは祈りをとおして、次に自分の身に起こることを待つ備えの時が与えられました。

ダマスコのアナニアとはどういう人物でしょうか。彼は、「弟子」と呼ばれています(10節)から、信仰者でした。アナニアに臨んだ主の言葉は、ユダの家にサウロという人物がいる、彼は今、目が見えなくなっていて、アナニアが来て手をおいて癒してくれるのを待っている、彼のもとに行け、というものでした。思いがけない主の言葉でした。彼はサウロがキリスト者を迫害している恐るべき人物であることを知っていました。それゆえ彼は躊躇しましたが、主は「行け」と命令を繰り返されるだけです。拒みようもない主の言葉に、彼は従いました。サウロのもとに行き、彼の上に手をおき、以前サウロがダマスコに来る途中で天からの光で倒れたときにサウロに語りかけたお方は、復活の主イエスであることを明らかにしました。そして自分がここに来たのは、サウロの目の癒しと、サウロの新しい働きのために必要な聖霊の賜物が彼に与えられるためであり、そのようにして彼が新しく誕生することに仕えることが目的である、ということを説き聞かせています。

サウロも先に見た幻で、アナニアという人物が自分のもとに来ることを知らされていたために、今、自分の身に起こっていることの意味が理解できました。その結果、彼の目は以前のように見えるようになり、さらに洗礼を受けるまでに至っています。こうしてサウロは、苦しみをとおして新しく生まれ変わりました。これから、主の僕としての彼の目覚ましい働きが始められることになります。

一方この後、アナニアは使徒言行録から姿を消します。このアナニアのように、わたしたちもそれぞれ、他の誰か特定の人の救いのために召し出され、神から用いられるということがあるかも知れません。一つのことのためだけであっても、この自分が神から必要とされることは、光栄なことです。

主イエスを救い主として信じる者たちを迫害していたサウロが、今度は自ら主イエスを救い主として証しする者として立てられ用いられ、多くの人々のもとへと遣わされます。主は、サウロのことを「わたしが選んだ器である」と言われました。誰もが、サウロと全く同じ方法で、同じ務めを持って、神の召しを受けるわけではありません。人それぞれにふさわしい方法で、神は選び、召し、用いられます。それに応じることは、苦しみを伴うことがあるでしょう。時には、恥をかかなければならないこともあるでしょう。しかしそのことが、神の国の宣教に役立てられることであれば、わたしたちはその重い務めを担う者でありたいと願います。

讃美歌339番4節の心をわたしたちの心としましょう。

「黄金(こがね)、しろがね、知恵も力も、献げまつれば、みな取り用い、
 我のこころを、みくらとなして、み旨のままに 治めたまえや」。

それは、「讃美歌21」(512番)では、次のように訳し変えられています。

「主よ、献げます、わしの愛を、知恵も力も宝もすべて。
 わたしのうちに、あなたが住んで、みむねのままに、用いてください」。

主日礼拝 2023.03.26

開会     10時15分
司会    加藤  治
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞エゼキエル書18章31~32節 (旧約p1322)
讃美歌10 わがたまたたえよ
祈祷
聖書使徒言行録9章10~19節a (新約p230)
信仰告白使徒信条
讃美歌73 くすしきかみ
説教「サウロの回心」
(原稿)久野  牧  (代読)加藤   治
祈祷
讃美歌249 われつみびとの
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

「復活の主とサウロとの出会い」

使徒言行録9章1-9節

教師・久野 牧

わたしたちの人生においては、人との<出会い>が大きな転機となることがあります。人との出会いに属するものとして、主イエス・キリストとの出会いがあります。キリストとの出会いが、ひとりの人間の生き方を大きく変化させたということは、数限りなくあります。新約聖書に記されているイエス・キリストと人間との出会いの物語でひときわ目立つのは、サウロ(後のパウロ)の場合です。彼は主イエスとの衝撃的な出会いを与えられ、それによってその生き方を180度変えられた人物です。そのことを記しているのが、使徒言行録9章1-19節で、今日はその前半の部分である1-9節に注目しましょう。

サウロは当初、エルサレムに生まれたキリスト者や教会にとっては、恐るべき迫害者でした。彼は大祭司の「キリストを信じる者たちを捕らえて、エルサレムに連行してよい」という許可証を手にして、キリスト者への迫害行動をエスカレートさせていました。彼はイスラエルの神を心から信じていた熱心な信仰者でしたが、十字架につけられたイエスを救い主として信じることはできず、そのためキリスト者を撲滅することが神の御心であると確信していました。サウロの迫害行為は、今、ダマスコにあるユダヤ人会堂に逃げ込んだキリスト者たちに向けられています。

しかしダマスコに着く直前に思いがけない出来事がサウロを襲いました。それが3節以下に記されている出来事です。突然天からの鋭い光がサウロを照らし、衝撃を受けた彼は地に打ち倒されました。それと同時に、天からの声がサウロの耳に響きました。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」(4節)。それに対してサウロは、次のように答えています。「主よ、あなたはどなたですか」と。この「主よ」という呼びかけは主イエスに対するものではなく、一般に自分を超えた存在や上位の者に対する敬称として用いられるものです。サウロに天からの声がさらに次のように語りかけられています。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(5-6節)。

この現象の中で、自分に働きかけておられるお方がどなたであるかはまだサウロには分かっていません。そのことが彼に理解できるようになるためには、いましばらくの時が必要なのです。その「しばらくの時」が、見えない状態の中で、食べることも飲むこともしないで過ごした三日間でした。その時、彼の中にある古いものが死んで、新しいものが生まれてくるための神による再創造の業がなされていました。その苦しみの時を彼はどのように過ごしたでしょうか。「今、彼(サウロ)は祈っている」(11節)。彼は多くのことが出来なくなった中で、祈りに集中しているのです。何を奪われても、神に対して祈ることはできます。如何なる時にも神への祈りは、決して奪われることはないのです。それは神からの賜物なのですから。

最後に、サウロの耳に聞こえた「なぜ、わたしを迫害するのか」、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」という言葉に思いを寄せましょう。これは主イエスの声です。サウロが実際に迫害していたのは、キリスト者と教会でした。しかし、復活の主は、「あなたはわたしを迫害している」と言われます。主イエスは御自身と、御自身を信じる信仰者たちやその群れである教会とを一体化しておられるのです。このように主は、わたしたちの苦しみをご自身の苦しみとして、わたしたちの痛みをご自身の痛みとして捉えてくださるお方です。わたしたちは主イエスと生命的な結びつきの中におかれていることを確信し、感謝しましょう。

主日礼拝 2023.01.19

開会     10時15分
司会    古賀 洋子
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編46編2~4節 (旧約p880)
讃美歌9 ちからのしゅを
祈祷
聖書使徒言行録9章1~9節 (新約p229)
信仰告白使徒信条
讃美歌71 つくりぬしよ
説教「復活の主とサウロとの出会い」
(原稿)久野  牧  (代読)古賀 洋子 
祈祷
讃美歌239 さまようひとびと
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.03.12

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編9編18~19節 (旧約p841)
讃美歌7 しゅのみいつと
祈祷
聖書マタイによる福音書6章10節 (新約p9)
信仰告白使徒信条
讃美歌132 めぐみにかがやき
説教「御国が来ますように」
李 炳斗(イ・ビョンドゥ) 下関教会牧師
祈祷
讃美歌250 つみのちから
聖餐式
讃美歌202 くすしきみすがた
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄543 しゅイエスのめぐみよ
祝祷
後奏