マルコによる福音書2章1~12節
佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧
本日の中風の病を抱えた人の癒しの物語は、2回に分けて学ぶことにします。今日は中風の人が癒されたことを中心に、そして次回(8月16日)は、癒しと罪の赦しの関係についてです。ここには主イエスの権威についての大切な教えがあります。
場所はカファルナウムのある家の中です。主はそこで多くの人に対して御言葉を語っておられました。熱心に主の教えに耳を傾ける人々によって家の戸口までいっぱいで、文字通り立錐の余地もないほどの状況でした。そこに遅れてきた人々がいました。それは中風の人を床(担架みたいなもの)に載せて運んできた四人の男たちです。彼らは中風の友の癒しを願って主のもとにやってきています。自分たちでは癒すことの出来ない病ですが、主イエスならきっと治してくださるとの確信をもってやってきました。しかし、人壁のために中に入ることがてきませんでした。そこで彼らはどうしたでしょうか。
彼らはあきらめることをせず、<別の道>を探りました。それがこの家の屋根に上って穴を開け、そこから病人を床ごと吊り降ろすという一見乱暴な方法です。彼らには、主に癒していただくのは別の機会にしようとか、人が少なくなるまで待つという選択肢もありましたが、この時を逃してはならないという思いで、彼らは思い切った方法を選んだのです。その行為は、彼らの友人に対する深い愛と、主イエスに対するあつい信頼の表れです。
主イエスは、友人たちによって吊り降ろされた病の人を目の前にして、どうなさったでしょうか。彼らをとがめることはなさいませんでした。次のように記されています。「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」(5)。そのあと、主は律法学者たちと言葉のやり取りをなさった後、中風の人に向かって「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」(11)と命じられました。中風の人は、命じられた通りのことをすることができました。彼は癒されたのです。
罪の赦しについては次回考えますが、要するに主は「彼らの信仰を見て」癒してくださったのです。「彼ら」とは誰でしょうか。四人の友人でしょうか。それとも中風の人も含めて五人の人たちのことでしょうか。宗教改革者カルヴァンは次のように言っています。「主は中風の人を運んできた人々を見ておられただけでなく、病の人の信仰をも見ておられた」。五人は主に対して同じ思いであったということでしょう。その思いがこの行動を生んでいます。