「十字架につけられる主イエス」

マルコによる福音書15章16-32節(その2)

佐賀めぐみ教会牧師 久野 牧

主イエスの十字架による処刑の時がついに来ました。主はピラトの官邸から十字架の処刑場であるゴルゴタの丘まで、自ら十字架をかついで行かなければませんでした。主は肩に食い込む十字架の重みと痛みに耐えながら歩いて行かれます。その十字架の重さは、人間の罪の重さを表しているものであるのかも知れません。この十字架への道が後世に<ヴィア・ドロロサ>=「悲しみの道」と呼ばれるようになりました。その途中で、兵士たちは主イエスの十字架を他者に担がせました。その人は、主とは直接何の関係もない北アフリカのキレネ人シモンという人でした。彼はもともとユダヤ人で、何らかの理由でキレネに移住していたのでしょう。彼はユダヤの大きな祭りである過越祭に参加するためにエルサレムにやって来て、たまたま十字架を担う主のそばを通りかかったときに、主に代わってその十字架を担う者とされたのです。それは彼にとっては屈辱的なことであったはずです。

しかしこのことはその時だけのこととして終わらずに、彼の人生の大きな転換点となりました。それは彼がこの後しばらくして、主イエスを信じる者になったということが起こったからです。聖書からそれが示されます。21節には彼の息子の「アレクサンドロとルフォス」の名が挙げられています。わざわざその名が挙げられているのは、マルコによる福音書が書かれた当時、この二人は既にキリスト者となっていて、多くのキリスト者仲間に知られていたことを示しています。またローマの信徒への手紙では、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく」(16章13節)とのパウロの言葉が記されています。ルフォスの母すなわちシモンの妻も、信仰者となっています。思いがけなく襲った苦難や災い、すなわち<強いられた十字架>は恵みに変わり、その人を主イエスとの出会いに導くことがあるということの典型的な例を、シモンに見ることが出来ます。

ゴルゴタの丘に着いた主は、すぐに十字架につけられました。死にゆく人のそばで賭け事をする兵士たちがいました。これは人間の醜悪さと鈍感さとを表しているものです。主の十字架には、「ユダヤ人の王」という罪状書きが打ち付けられています(26節)。それはもちろん主の死刑を最終的に判断した総督ピラトが、痛烈な皮肉を込めて書かせたものです。しかしこの侮蔑をこめた人間の業の中にも、神の真実は示されています。主イエスはまさしく、ユダヤ人の王であり、そして真の意味で世界の唯一の王であられます。わたしたちはそれを読みとることが出来ます。

十字架上の主に対してそばを通りかかった人や祭司長や律法学者、さらに主と共に十字架につけられている者たちがののしりの声を浴びせました。その内容の中心は「イエスよ、十字架から降りて自分を救ってみよ。そうすれば信じてやろう」というものです。しかし主は十字架から降りることはなさいませんでした。ご自身が十字架で死ぬことによって、罪人の罪が滅ぼされることを願って死に向かわれました。それによって主イエスのわたしたちに対する深い愛が示され、わたしたちの罪の赦しのための神への執り成しの業が成し遂げられました。次の言葉はわたしたちの胸を打ちます。「イエスが十字架から降りて来なかったので、わたしたちはイエスを救い主と信じるのだ」(救世軍の創設者ブース大将)。そうであるならばわたしたちも主に服従する中で担わなければならない自分の十字架を降ろさずに、それを担い続けることこそが信仰に生きることであることを教えられます。