開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編8編2~3節 (旧約p840) |
| 讃美歌 | 195 いのちのきみに |
| 祈祷 | |
| 聖書 | マタイによる福音書6章9節 (新約p9) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 288 たえなるみちしるべの |
| 説教 | 「天におられる父なる神様に祈る」 李 炳斗 下関教会牧師 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 217 あまつましみず |
| 聖餐式 | |
| 讃美歌 | 202 くすしきみすがた |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 539 あめつちこぞりて |
| 祝祷 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編8編2~3節 (旧約p840) |
| 讃美歌 | 195 いのちのきみに |
| 祈祷 | |
| 聖書 | マタイによる福音書6章9節 (新約p9) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 288 たえなるみちしるべの |
| 説教 | 「天におられる父なる神様に祈る」 李 炳斗 下関教会牧師 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 217 あまつましみず |
| 聖餐式 | |
| 讃美歌 | 202 くすしきみすがた |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 539 あめつちこぞりて |
| 祝祷 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会
奏楽
| 前奏 | |
| 招詞 | |
| 讃美歌 | |
| 祈祷 | |
| 聖書 | |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | |
| 説教 | |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
使徒ペトロたちは、エルサレム神殿のソロモンの回廊で人々に福音を説いていたとき、祭司長たちや神殿守衛長によって捕らえられて、牢に入れられました(4:1-3)。一度は使徒たちは釈放されたのですが、そのあと再び彼らは同じ場所で、み言葉を説き、癒しの業を行いました(5:12)。権力や敵対者を恐れない彼らの勇気ある姿をそこに見ることが出来ます。
12-16節を見ると、使徒たちの周りには多くの人々が集まっていたことが分ります。その中には、使徒たちを遠くからただ見続ける人たち、使徒たちを称賛するだけの人々、主イエスを信じる者とされた人たちなどがいました。さらに17節では、彼らに敵対する者たちが再び現れて、使徒たちを捕らえ牢に入れたのです。彼らは使徒たちに対するねたみに燃えていました(17)。最初の逮捕は、使徒たちが主イエスの復活を宣べ伝えていたことがその理由でしたが(4:2参照)、今回はねたみという人間的な感情がその背景にあります。福音が説かれるところでは、さまざまな反応があります。そして使徒たちの時代には、とりわけ力づくでその活動を止めさせようとする者たちが必ず現れ出て来たことを知ることが出来ます。
前回の捕らわれの時には、使徒たちは「今後イエスの名によって話したり教えたりしてはならない」という脅し付きで釈放されました。しかし今回は、主の天使がやって来て使徒たちを解放しました。そして次のように命じたのです。「この命の言葉を民衆に告げなさい」(20)。彼らは主の天使が命じるままに、主イエス・キリストが唯一の救い主であることを再び前回と同じ場所で語り始めたのです。天使による解放は、使徒たちをより安全な場所にかくまうためのものではなくて、み言葉を語らせるためのものでした。主イエスのなさることは、人知を超えています。
神殿当局者たちはそのような使徒たちを再び拘束して、最高法院で裁判にかけました。彼らは強い調子で尋問しています。「イエスの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか」(28節参照)。それに対して使徒たちはこのように答えましした。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(29)。これは第一回の逮捕の時にも彼らが口にした言葉でした(4:19参照)。この世の権力者たちは「語るな」と命じています。一方、主なる神は天使を通して、主イエス・キリストについて見聞きしてきたことをありのままに「語れ」と命じています。正反対の命令が使徒たちの耳に響いてきます。そうした時の彼らの行動の規準はいつも、「人間に従うよりも、神に従わなくてはならない」ということでした。それが「キリストの証人」としての唯一のあり方です。その姿勢が貫かれることによって、福音宣教の業は進展し、各地に教会が建てられることに結びつきました。
どのような時代であっても、キリストを信じ、キリストに従う者がとるべき姿勢は、使徒たちによって示されています。その姿勢を貫こうとするときに、それに必要な力も勇気も、そして語るべき言葉も、主なる神は必ず与えてくださいます。それが主の約束です。わたしたちの教会も、その主の約束を信じて、使徒たちに倣う教会としての歩みをこの地で強めて行かなければなりません。今日においても、教会には様々な圧力が見える形で、あるいは見えない形で加えられます。そのような時、わたしたちはエルサレム神殿での使徒たちの毅然とした姿を思い起こし、それに倣いたいものです。そうするとき、わたしたちもこの時代における「キリストの証人」としての働きを、力強くなすことが出来ます。
開会 10時15分
司会 栗林 聖子
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | ヨシュア記1章5~7節 |
| 讃美歌 | 23 くるあさごとに |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 使徒言行録5章12~32節 (新約p221) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 79 ほめたたえよ |
| 説教 | 「人間に従うよりも、神に従え」 原稿 久野 牧 代読 栗林 聖子 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 260下 ちとせのいわよ |
| 聖餐式 | |
| 讃美歌 | |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 祝祷 | |
| 後奏 |
エルサレムに形成された初代教会は、信仰者のそれぞれが自分の持ち物を教会のために差し出して、それを共有し合う共同体としての歩みを始めました。なかにはバルナバのように自分の畑を売って、その代金のすべてを教会に献げた人もいました。そのような教会の中で、一つの悲劇的出来事が起こりました。それはアナニアとサフィラ夫妻を巡ることでした。彼らもバルナバのように、自分たちの土地を売って、その代金を教会に献げました。しかし彼らの場合、すべての売上金を献げたのではなくて、「代金をごまかしてその一部を持って来た」のです(5章1節)。つまり、土地を売った代金のうち、ある程度の部分を自分たちの懐に入れて、その残りを、これが代金のすべてであるかのように献げたのです。
このことがペトロの察知するところとなりました。ペトロはまず夫アナニアに事実を確認しました。そしてその行為は、「人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と厳しくとがめたのです(5章4節)。その言葉の後、アナニアは倒れて、息が絶えてしまいました。しばらくして、妻のサフィラもペトロからの質問を受けて偽りの答えをしました。その結果、彼女も倒れて息が絶えました。なんという悲惨な出来事が起こったことでしょうか。
これには理解しがたいことがいくつかあります。そのためにアナニアとサフィラ夫妻に対する同情論も教会の歴史において生じてきました。一つの疑問は、自分の土地を売った代金の一部を自分のためのものとすることは、許されないことなのかということです。それは本来許されることでしょう。しかしこの夫婦の場合、教会に献げたものは土地を売った代金のすべてだという偽りを言ってしまいました。彼らは正直に言えばよかったはずですが、そうはしませんでした。そこに大きな罪があるのです。そのことをペトロは、「あなたがたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」という言葉で彼らの偽りの行為の本質を糾弾しています。教会に不義や偽りや虚栄が入り込んではならない、ということが示されます。
その偽りの結果二人とも倒れて息絶えたのですが、ここで次の疑問が生じます。それはペトロが二人を打ったのだろうかということです。しかし聖書はそうは記していません。彼らはただ倒れて息絶えたと記されいるだけです。それはつまり彼らは神によって打たれたということを示唆しています。神の厳しさが彼らに臨んだのです。わたしたちはこの出来事をそのままに受け入れるほかありません。
さらに彼らに悔い改めや赦しの機会が与えられなかったことに対して、気の毒な思いを持つ人もいることでしょう。確かにそうかも知れません。しかしこれから大きく成長していくべき生まれたばかりの教会が、最初からその姿勢をあいまいにしたまま歩みを続けることは、主なる神がお許しにならなかったのです。ローマの信徒への手紙11章22節に次のように記されています。「神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては、厳しさがある…」。その神の厳しさが、教会を真実な教会として形成していくのです。
教会は神の神殿であり、神の霊が住んでおられるところです(コリントの信徒への手紙一、3章16-17節)。この神殿を人間の不正や偽りによって汚したり、壊したりすることは許されません。そのことを教えるために、神は二人に対してこのように厳しく臨まれたのでしょう。エルサレム教会はこの悲惨な出来事から多くを学び、姿勢を正すことが求められています。
開会 10時15分
司会 十時やよい
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編130編1b~4節 (旧約p973) |
| 讃美歌 | 20 しゅをほめよ |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 使徒言行録5章1~11節 |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 77 みかみはちからの |
| 説教 | 「神をあざむく罪-アナニアとサフィラ-」 原稿 久野 牧 (代読)十時やよい |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 259 あめなるしゅイエスの |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 古賀 洋子
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | ヨシュア記1章5節 (旧約p340) |
| 讃美歌 | 79 ほめたたえよ |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 詩編107編23~32節 (旧約p948) マルコによる福音書4章35~41節 (新約p68) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 273B わがたましいを |
| 説教 | 「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 神学生 海東 強(稲田堤伝道所会員) |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 270 しんこうこそ |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 544 あまつみたみも |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編5編12~13節 (旧約p838) |
| 讃美歌 | 12 めぐみゆたけきしゅを |
| 祈祷 | |
| 聖書 | イザヤ書25章9節 (旧約p1098) ヨハネによる福音書20章24~29節 |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 243 ああしゅのひとみ |
| 説教 | 「わが主よ、わが神よ」 (会員)栗林ミチ |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 355 しゅをあおぎみれば |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
ペンテコステ以後、主イエスの弟子たちを中心にして「信じた人々の群れ」(32節)が形成されました。これは、まだ組織や制度は整っていませんが、キリストの体である「教会」が形成されたということです。その特質は、次の四つの項目にまとめることが出来ます。
(1)彼らは心も思いも一つであったこと(32節)
(2)彼らは持ち物を共有する集団であったこと(32節)
(3)この群れを率いる中心的立場にいた使徒たちは、大いなる力をもって、主イエスの復活を証しし続けたこと(33節)
(4)キリストを信じるこれらの人々は、他の人々から非常に好意を持たれていたこと(33節)
このなかで特に二つのことについてさらに考えてみましょう。その一つは、信じる人たちが「心を一つにしていた」ということです。この語は使徒言行録の著者ルカがよく用いるものですが(4章24、32節、5章12節)、内容的には、耳を傾けること、祈りをささげること、讃美を歌うことにおいて、皆同じ方向を向いていたということです。彼らの耳と目と口は、復活の主イエスに向けられていました。彼らは共通のみ言葉と教えに耳を傾け、共通のお方に信仰の眼差しを向け、共通のお方を賛美しつつそのお方を人々に宣べ伝えました。また、パンを裂くことを通して共通のお方の命に触れることが出来ていました。そのことが、彼らが心を一つにすることが出来た最大の要因です。
そしてそのような彼らの一致は、一丸となって復活の主イエス・キリストを群れの外にいる人々に宣べ伝え、証しする行為となって表れ出ました。それによってさらに主イエスとの出会いを与えられた人々が、悔い改めを促され、教会へと導かれました。それは熱狂的でも狂信的でもなく、確信をもって誠実になされたことでしょう。それが、この群れが、外の人々から好意を持たれることに結びついています。彼らは信仰に生きることによって、キリストの善き香りを放っていたのです。
もう一つ注目しておきたいことは、信じた人たちが財産を共有していたということです。彼らの中には富んでいる人もいたでしょうが、多くは貧しい人々であったにに違いありません。それらの人々が心を一つにして信仰共同体を形成していくとき、強制や命令によるのではなく、自然なかたちでそれぞれが自分の持っているものを差し出して共有したり、分配するということがなされたのでしょう。それも思いが一つにされていたからこそできたことでした。しかしこのような財産共有の共同体については、使徒言行録においてこのあと記されるということはほとんどありません。逆にそのことについては語られなくなります。それは財産共有の共同体という形が長く続かなかったということかも知れません。このことについては丁寧な考察が必要ですので、今回はこれ以上触れないことにいたします。
最後にキプロス生まれのユダヤ人であるヨセフ、あるいはバルナバと呼ばれる人の教会への献げものについて記されています。自分に与えられた財産を、教会のためにすべて献げることによって自分自身を献げようとすることは、今日でもあり得ることです。しかしそれは、今改めて社会問題となっている旧・統一教会における献金とは全く質が異なるものであることを、わたしたちははっきり認識しなければなりません。今日、教会において献金について丁寧な説明がなされることはとても大事であることを思わせられます。
開会 10時15分
司会 加藤 治
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編135編1~3節 (旧約p975) |
| 讃美歌 | 19 みこえきくとて |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 使徒言行録4章32~36節 |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 73 くすしきかな |
| 説教 | 「信者たちの持ち物の共有」 (原稿)久野 牧、(代読)加藤 治 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 348 ならびもなく |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |