開会 10時15分
司会 古賀 洋子
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編30編2~4節 (旧約p860) |
| 讃美歌 | 8 きよきみつかいよ |
| 祈祷 | |
| 聖書 | ローマの信徒への手紙5章1~11節 (新約p279) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 120 いざうたえともよ |
| 説教 | 「神との平和」 長老 古賀 洋子 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 348 ならびもなく |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 古賀 洋子
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編30編2~4節 (旧約p860) |
| 讃美歌 | 8 きよきみつかいよ |
| 祈祷 | |
| 聖書 | ローマの信徒への手紙5章1~11節 (新約p279) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 120 いざうたえともよ |
| 説教 | 「神との平和」 長老 古賀 洋子 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 348 ならびもなく |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 543 しゅイエスのめぐみよ |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 十時やよい
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | イザヤ書52章7節 (旧約p1148) |
| 讃美歌 | 2 いざやともに |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 使徒言行録8章1~13節 (新約p227) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 66 せいなる、せいなる |
| 説教 | 「教会の迫害と福音の前進」 (原稿)久野 牧 (代読)十時やよい |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 225 すべてのひとに |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 541 ちちみこみたまの |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編8編4~9節 (旧約p840) |
| 讃美歌 | 294 みめぐみゆたけき |
| 祈祷 | |
| 聖書 | マタイによる福音書6章9節 (新約p9) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 270 しんこうこそ |
| 説教 | 「御名が崇められますように」 李 炳斗(イ・ビョンドゥ) 下関教会牧師 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 217 あまつましみず |
| 聖餐式 | |
| 讃美歌 | 202 くすしきみすがた |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 541 ちちみこみたまの |
| 祝祷 | |
| 後奏 |
新しい年の初めに当たって、使徒パウロが書いたとされる「コロサイの信徒への手紙」からみ言葉を聞き取り、一年の歩みの指針としたいと願います。
わたしたちは、人間の死についていろんな角度から考察することができます。その結果出てくる死についての最も端的な一般的な定義は、「死は生きている者たちのすべての終りである」ということです。そこで、わたしたちの大きな関心事となるのは、その死への備えはどうあるべきかということです。それは後悔しない「死に方」とはどういうものかということですし、換言すれば後悔しない「生き方」とは何か、ということです。一般的に、自分の人生を自分が作った設計図通りに生きることができたとの達成感を覚える場合、その人は悔いることなく死ぬことができるでしょう。あるいは自分の人生を十分に楽しむことができたという満足感を覚える人は、「わが人生に悔いなし」との思いで終わりを迎えることが出来るかも知れません。
しかしわたしたちは過去を振り返ることよってのみ、生を価値づけることで良いのでしょうか。その場合、死の後のことはどうなっているのだろうかという問題が残ります。即ちそれらの人には未来のこと、永遠の終わりのことが全く視野に入っていないのではないか、ということです。コロサイの信徒への手紙3章2節には、「地上のものに心を引かれないようにしなさい」と記されています。そのうえで、「上にあるものを求めなさい」(1節)、「上にあるものを心に留めなさい」(2節)と勧められています。「上」には、すなわち神のもとには何があるのでしょうか。コロサイ書の次の二つの言葉に注目しましょう。
「そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」(1節)。
「あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです」(3節)。
神のもとには復活の主がおられる、そしてその主と共にわたしたちの新しい命が神の内に隠されている、と言うのです。神は、すべての人がキリストとの結びつきの中で、その命を手にするようにと待っておられます。必ず死ぬわたしたちです。しかし神のもとにはわたしたち一人ひとりのための新しい命が備えられている、それゆえ死を超えて、神のもとにあるこの命を見つめ、この命を求めることこそが、地上の人生の大きな目標とならなければならない、ということです。
これは、地上の過去の歩みを見ることとは全く違います。未来を、つまり死の後を見ること、神の約束を見ることです。キリストの十字架と死と復活に目を向けることによって、わたしたちに約束されているものが見えてきます。したがって、「上にあるものを求めなさい」とは、換言すれば、十字架とよみがえりと昇天のイエス・キリストに思いを集中しなさい、ということになります。このお方がわたしたちのために成し遂げてくださった救いのすべてに目を向けなさい、ということです。そのとき、神がキリストを通してわたしたちに約束されている新しい命の賜物が見えてくるのです。これこそが何ものにも勝るわたしたちの永遠の宝物、命の冠です。これにふさわしく生きることが、悔いのない生へとつながります。
「この世は、キリストが何であるか、キリスト者が何であるかを知らないが、キリスト者自身も、自分自身を本当には分かっていないのだ」(ベンゲル、18世紀)。
これは、言い換えればキリスト者は、イエス・キリストを通して差し出された神の恵みの大きさと素晴らしさとをもっと知るべきである、ということです。そうすることによって、死の恐怖と不安を乗り越えて、この一年も力と喜びと希望をもって地上の生を生き抜くものとされることでしょう。
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | コリントの信徒への手紙二5章17節 (旧約p331) |
| 讃美歌 | 1 かみのちからを |
| 祈祷 | |
| 聖書 | コロサイの信徒への手紙3章1~4節 (新約p371) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 514 よわきものよ |
| 説教 | 「上にあるものを求めなさい」 (原稿)久野 牧 (代読)栗林 恵一 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 324 しゅイエスはすくいを |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 541 ちちみこみたまの |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 十時やよい
| 前奏 | |
| 招詞 | イザヤ書12章1~3節 (旧約p1079) |
| 讃美歌 | 98 エッサイのねより |
| 祈祷 | |
| 聖書 | ルカによる福音書2章10~20節 (新約p103) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 100 いけるものすべて |
| 説教 | 「クリスマスイブの天上と地上」 会員 栗林ミチ |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 108(こどもさんびか 26) いざうたえ |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 542(こどもさんびか 16) よをこぞりて |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会 栗林 恵一
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | 詩編48編2~4節 (旧約p881) |
| 讃美歌 | 161 インマヌエルのきみのみ |
| 祈祷 | |
| 聖書 | イザヤ書7章1~17節 (新約p1070) マタイによる福音書1章8~25節 (新約p1) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 95 わがこころは |
| 説教 | 「救い主の名はインマヌエル」 (原稿)久野 牧 (代読)栗林 恵一 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 97 あさひはのぼりて |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 540 みめぐみあふるる |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |
開会 10時15分
司会
奏楽
| 前奏 | |
| 招詞 | (旧約p) |
| 讃美歌 | |
| 祈祷 | |
| 聖書 | |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | |
| 説教 | |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | |
| 聖餐式 | |
| 讃美歌 | |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | |
| 祝祷 | |
| 後奏 |
ステファノは捕らえられた身でありながら、エルサレムの最高法院で演説(説教)をしました。その記録が、7章1節から53節までに記されています。今日はその最後の部分(44―53)にまず注目してみましょう。彼はイスラエルの民が荒野の旅を続けていたときに、礼拝所として幕屋を建てたことに触れた後、パレスチナに定住してからは、第三代の王ソロモンがエルサレムに神殿を建てたことまでを語っています。しかし、神との関係は神殿を建てることによって終わってしまうのではなくて、神殿での神礼拝を日常において徹底することが重要なことでした。「いと高き方は、人の手で造ったようなもの」(48節前半)に閉じ込められてしまうお方ではないからです。
しかし、イスラエルの民の現実は神への真実を貫くことからはほど遠く、常に神の御心に背くことを繰り返し行っていました。そうした民のことをステファノは、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人」(51)と痛烈に批判しています。それは心と耳が幕で覆われているために、神のみ言葉を正しく聞き取ることが出来ず、常に神に逆らうことを行っているということです。そのため彼らの先祖は、旧約の時代には、神の言葉を語った預言者たちを殺し、また新約の時代に入ってからは、預言者たちが預言した「正しい方」(52)、すなわち救い主イエス・キリストを殺してしまったと、彼らの罪を暴き出しています。ステファノはそのような彼らの罪が、今はキリストの弟子であるわたしを迫害するという形で再び表されている、と指摘しています。
そこまで語ったところで人々は、ステファノにそれ以上語ることを許さず、激しい怒りの内に彼に襲いかかり、都の外で石を投げつけて、ついに彼を殺してしまいました。ステファノは殉教の死を遂げたのです。彼は殺される痛みと苦しみの中で、「天を見つめ」(55)、神の右におられる主イエスに自分のすべてを委ねて眠りにつきました(60)。そのようにして死んでいくステファノがそのとき口にしたのは二つの祈りでした。一つは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(59)と、もう一つは、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(60)です。この二つの祈りは、次の主イエス・キリストの十字架上の祈りに似ていることに多くの方が気づいておられるでしょう。
「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23:46)。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。
主イエスは父なる神に呼びかけ、ステファノは神の右におられ主イエスに呼びかけています。こうして彼は死のときにも傍らにいてくださる復活の主イエスを見つめることによって、希望と慰めの内に死に向かうことが出来ました。それは、わたしたちの死においても同じことです。わたしたちが信仰者として地上の生を終えるとき、それがどのような死であっても、復活の主がわたしたちの傍らにいてくださり、天の神のもとへと導いてくださいます。この幸いをわたしたちは、ステファノの死から示されます。わたしたち信仰者は、孤独の内に死んでいくのではないのです。わたしたちの唯一の慰めは「わたしが生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであること」(『ハイデルベルク信仰問答』)です。
開会 10時15分
司会 加藤 治
奏楽 古賀 洋子
| 前奏 | |
| 招詞 | イザヤ書66章1~2節a (旧約p1169) |
| 讃美歌 | 52 しゅのさかえに |
| 祈祷 | |
| 聖書 | 使徒言行録7章44~60節 (新約p226) |
| 信仰告白 | 使徒信条 |
| 讃美歌 | 85 しゅのまことは |
| 説教 | 「ステファノの説教と殉教の死」 (原稿)久野 牧 (代読)加藤 治 |
| 祈祷 | |
| 讃美歌 | 191 いともとうとき |
| 献金と感謝祈祷 | |
| 主の祈り | |
| 頌栄 | 540 みめぐみあふるる |
| 派遣と祝福 | |
| 後奏 |