主日礼拝 2023.07.02

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編17篇1~5節 (旧約p846)
讃美歌9 ちからのしゅを
祈祷
聖書創世記17章9~14節 (旧約p21)
使徒言行録11章4~18節 (新訳p235)
信仰告白使徒信条
讃美歌419 しゅにありては
説教「沈黙から賛美へ」
(神学生)海東  強
祈祷
讃美歌286 かみはわがちから
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄541 ちちみこみたまの
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「ペトロに癒された人たち」

使徒言行録9章32-43節

教師・久野 牧

今日のテキストには、ペトロがエルサレム以外の地で行った癒しの出来事が記されています。その地はリダとヤッファです。リダはエルサレムの北西約40キロの町で、ヤッファはリダからさらに北西約18キロの地にある港町です。それぞれの町には、既にキリスト者の共同体が形成されていたことを示されます。

リダでペトロは、「中風で8年前から床についていたアイネアという人」に会いました(33節)。彼はリダの地のキリスト者の群れの一員でした。ペトロは、病の床にあるアイネアのもとに行き「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と命じています。ペトロは自分自身の力で病の人を癒すことができるとは考えていません。復活された主イエスの力に頼ってそのようにしています。アイネアはすぐに起き上がりました。それを見てリダの人々は、「主に立ち帰った」と記されています。この癒しの出来事を起こされたのは、復活の主キリストであると知って、人々はイエス・キリストを信じる者になった、ということです。

次に30節以下には、港町ヤッファでの出来事が記されています。ここに登場するのはタビタという「婦人の弟子」(36節)です。タビタは、主イエスを信じる人であり、群れの中で特にやもめを中心とする女性たちにとっては、精神的支柱のような存在であったのでしょう。タビタが病のために死にました。彼女はその日埋葬されることなく部屋に安置されました。人々はなぜ彼女をすぐに埋葬しなかったのでしょうか。それは人々はリダの町で癒しの業をしたペトロを待っていたからです。

招かれてヤッファに来たペトロは、祈りにおいて自分が何をなすべきかを神に問うています。事を決められ、事をなさるのは神です。それゆえペトロは今、何よりも神の御心を問うのです。深い祈りの後、ペトロはタビタの遺体に向かって次のように呼び掛けています。「タビタ、起きなさい」。するとタビタは目を開き、ペトロの差し出す手を借りて立ち上がりました。タビタの生き返りが起こりました。これをなさったのは主なる神であり、また復活の主がペトロの手を通して働かれました。それゆえ、人々はこの出来事を通して「主を信じた」のです(42節)。ここでもリダにおいてと同じように、人々はペトロではなく、命を返してくださった神とよみがえりの主イエス・キリストを信じました。初代の信仰者において、健全な信仰が養われていることに、わたしたちは驚きを覚えさせられます。

ペトロは、アイネアとタビタそれぞれの名を呼んで「起きなさい」と命じました。全く同じ呼びかけ、同じ命令です。そしてわたしたちはこの呼びかけの言葉を聞くとき、主イエスが会堂長の娘に向かって、「タリタ、クム」「少女よ、起きなさい」と言われたあの言葉を思い出すのです(マルコ5章41節参照)。

その主は今も、さまざまな重荷や苦しみや悲しみで打ちひしがれ、倒れそうになっている人、いや既に倒れている人に対して、その人の名を呼びながら、「起きなさい」、「歩きなさい」と言われ、さらに「わたしがあなたと共に歩き、共に生きる」と言ってくださっているのではないでしょうか。その声を聞き取ることができるとき、わたしたちは立ち上がることができます。教会に属する者は、自らその主の声を聞き取るとともに、「起きなさい」、「立ち上がりなさい」と呼びかけてくださる主の御声を必要としている他の人々に、取り次ぎ、差し出し、それによってそれらの人々が生きる者となるように仕えることが求められています。教会には、その大切な務めがあることを忘れないようにしましょう。

主日礼拝 2023.06.25

開会     10時15分
司会    十時やよい
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編41篇2~4節 (旧約p874)
讃美歌19 みこえきくとて
祈祷
聖書使徒言行録9章32~43節 (新約p874)
信仰告白使徒信条
讃美歌58 かみよみまえに
説教「ペドロに癒やされた人たち」
(原稿)久野  牧   (代読)古賀洋子
祈祷
讃美歌287 イエスきみのみなは
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄540 みめぐみあふるる
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.06.18

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編16篇10~11節 (旧約p846)
讃美歌24 ちちのかみよ
祈祷
聖書詩編118篇5~25節 (旧約p957)
使徒言行録4章5~12節 (新訳p219)
信仰告白使徒信条
讃美歌177 かみのいきよ
説教「私たちの”隅の親石”」
神学生 海東  強
祈祷
讃美歌277 わがたまを
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄540 みめぐみあふるる
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.06.04

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編16篇1~4節 (旧約p845)
讃美歌6 われらしゅを
祈祷
聖書出エジプト記19章3~8a節 (旧約p124)
ルカによる福音書10章17~24節 (新約p126)
信仰告白使徒信条
讃美歌187 しゅよいのちの
説教「私はあなたを待っています」
神学生 海東  強
祈祷
讃美歌3365 わがしゅイエスよ
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄540 みめぐみあふるる
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

主日礼拝 2023.05.28

開会     10時15分
司会    栗林 恵一
奏楽    十時やよい

前奏
招詞詩編15篇1~5節 (旧約p845)
讃美歌9 ちからのしゅを
祈祷
聖書ペトロの手紙一1章3~5節 (新約p428)
信仰告白使徒信条
讃美歌352 あめなるよろこび
説教「生き生きとした希望」
福岡女学院 牧師 徐 亦猛徐
祈祷
讃美歌228 ガリラヤのかぜ
聖餐式
讃美歌202 くすしきみすがた
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
祝祷
後奏

主日礼拝 2023.05.21

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編14篇4~6節 (旧約p844)
讃美歌6 われらしゅを
祈祷
聖書ダニエル書7章13~14節 (旧約p1393)
マタイによる福音書28章16~20節 (新約p60)
信仰告白使徒信条
讃美歌198 ちちみこみたまの
説教「いつもあなたがたと共にいる」 神学生 海東 強
祈祷
讃美歌166 イエスきみは
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

主日礼拝 2023.05.14

開会     10時15分
司会    海東  強
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編13編6節 (旧約p844)
讃美歌19 みこえきくとて
祈祷
聖書ダニエル書6章10~23節 (旧約p1390)
ルカによる福音書7章1~10節 (新約 p.114)
信仰告白使徒信条
讃美歌299 うきよのさかえは
説教「信仰と謙遜」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌419 しゅイエスにありては
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄539 あめつちこぞりて
派遣と祝福
後奏

主日礼拝 2023.04.30

開会     10時15分
司会    十時やよい
奏楽    古賀 洋子

前奏
招詞詩編11編7節 (旧約p843)
讃美歌12 みめぐみゆたけき
祈祷
聖書出エジプト記16章4~16節 (旧約p119)
ヨハネによる福音書6章34~40節 (新約p175)
信仰告白使徒信条
讃美歌187 しゅよいのちの
説教「『永遠の命』に生きる」
神学生 海東 強
祈祷
讃美歌225 すべてのひとに
聖餐式
讃美歌
献金と感謝祈祷
主の祈り
頌栄544 あまつみたみも
派遣と祝福コリントの信徒への手紙二、13章13節によって
後奏

「迫害者から伝道者へ」

使徒言行録9章19b-31節

教師・久野 牧

サウロは、ダマスコで復活の主との出会いによって洗礼を受けてキリスト者となりました。彼は数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいました。この数日間はこれからの生き方を神に問う「祈りの時」という意味を持っていました。彼はダマスコの会堂で、主イエスは神の子であり、唯一の救い主であることを宣べ伝えました。それが復活の主がお決めになった彼の新しい生き方だったのです。こうして彼は、「かなりの日数」(23節)にわたって、ダマスコでの宣教活動に力強く励みました。その間の働きが極めて熱心であったことは、その働きによってユダヤ人がうろたえたこと(22節)、さらにユダヤ人がサウロの殺害計画を立てるに至ったこと(24節)などから推しはかることができます。迫害者サウロが今は逆にキリストの宣教者となったことは、多くのユダヤ人にとっては到底許すことの出来ない彼の裏切り行為であったのです。サウロはキリスト者の命を狙う立場から、今は彼自身が自分の命を狙われる立場に変わってしまいました。

サウロに対する殺害計画を知った彼の弟子たちは、彼を連れ出して逃がしました。ダマスコを出たサウロは、その後エルサレムに帰りました(26節以下)。そこで彼はユダヤ人の二つのグループと接触します。その一つは、キリスト者の集団であって、その中心には使徒たちがいました。もう一つの集団はキリスト者に敵対している多くのユダヤ人たちです。それぞれの対面はどのようになったでしょうか。

サウロは、まずエルサレムにいるキリストの弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、初めは拒否的な反応を受けました(26節)。それは当然のことです。彼はエルサレムにいた時もダマスコでもキリスト者を迫害していた人物です。そのサウロが、これからは福音の宣教に仕えるので仲間に入れて欲しいと願ったところで、すぐにそのことが他の弟子たちに受け入れられるはずはありません。そうした中でサウロがエルサレムのキリスト者たちに受け入れられるために働いた人物がバルナバです。彼はサウロとキリスト者たち、特に使徒たちのとの間に入って、サウロの身に起こったことや、彼が神によって命じられて宣教の業に携わっていることを説明しました。それによってサウロは使徒たちに受け入れられることになりました。今新たな宣教の展開のためにバルナバという一人の器が神によって用いられています。もう一つの集団であるキリストを信じないユダヤ人たちへの人たちへの宣教はうまく行かず、彼らによってサウロ殺害計画が立てられたために、サウロは他の兄弟たちの助けを借りて、今度はエルサレムを離れることになりました。

こうした困難や危機的状況にもかかわらず、教会は進展しました(31節)。それはみ言葉に秘められている神の力が、それに敵対する力を圧倒したことによります。それと同時に、そのみ言葉に触れた者たちが、「主への畏れ」を抱き、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒言行録5章29節)という生き方を与えられたからです。今日の教会と信仰者においても常に維持され、強められなければならないものは、この「主への畏れ」です。この主への畏れは、み言葉への畏れから出てくるものです。礼拝ごとに耳を傾けるみ言葉の中に、主なる神ご自身が宿っていてくださるとの思いで、これからも畏れをもって礼拝を捧げ続けて参りましょう。それによって、教会の質は高められ、一人ひとりの信仰が豊かなものとされるでしょう。そして礼拝に集う他の人々が、「ここに神がおられる」との信仰に導かれるに違いありません。それがわたしたちの祈りです。