「祈りつつ動き出す弟子たち」

使徒言行録1章12-26節

教師 久野 牧

よみがえられた主イエスが天に昇られた後、弟子たちや主に従ってきた人たちは如何なる生活を送ったのでしょうか。そのことが13-14節に記されています。ここにあげられている人々を、三つのグループに分けて考えることが出来ます。

その第一は、主イエスが選ばれた弟子たちです。それは彼らから離れて行ったイスカリオテのユダを除く十一人の弟子たちの集団です。彼らは主が逮捕されたときや主の十字架の時には皆主のもとから逃げていましたが、復活の主との出会いの後、再びまとまった集団となりました。第二のグループは、「婦人たち」です。これは主が北のガリラヤから南のエルサレムまで宣教の業をしながら旅を続けられたときに、主に忠実に従い仕えてきた女性たちです。彼女たちは主の十字架や葬りの時にも立ち合いました。さらに第三のグループとして、主イエスの母マリアと主の兄弟たちがいます。彼らは当初は主に対して必ずしも好感を持ってはいませんでしたが、今は主を信じる集団の一員となっています。これらの人々は、エルサレムのある家に集まって、「皆…心を合わせて、熱心に祈って」(14節)いました。その祈りの内容は、復活の主が約束してくださった聖霊を求めるものであったに違いありません。やがて神の使者として宣教に出て行くために必要な力の源である聖霊が降ることを祈り求めていました。そしてこの祈りはやがて神によって聞かれることになります。

15節以下を見ると、このように集まって祈る集団の周りには、ほかに全体で120人ほどの人々がいたことが分ります。ペトロは彼らに対して演説をしていますが、それは16-22節に記されています。その中心的な内容は、主イエスが選ばれた十二弟子の中からユダが主を裏切り、そして死んでしまった、だからその欠けを補うために一人を選んで、「十二」という数字を満たさなければならない、というものです。十一弟子たちは、自分たちの仲間であったユダが抜け落ちた痛みを覚えながら、なお主の弟子としての務めを果たすために、一人を補おうとしています。そしてこの弟子たちはやがて「使徒」と呼ばれるようになります。

ペトロは使徒としてふさわしい条件・資格を二つあげています。その一つは主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けて公に宣教活動を始められてから昇天にいたるまで、主と共にいた者ということです。もう一つは「主の復活の証人」と言われることで、復活の主との出会いや交わりの中で主の復活の確信を揺るぐことなく抱いている者ということです。どちらも主イエスの歴史的な存在や働きや、主の身に起こった重大な出来事に固く結びついた事柄が内容となっています。人間的能力や資質ではなく、ただ生けるキリストとの関りの中で、使徒たるにふさわしい働きをすることが出来る者ということが考えられています。今日における教会でのさまざまな務めにつく者の選出も、この基本的な原則に倣うべきでしょう。

この二つの条件・資格を満たす者として、二人の者が挙げられました。この二人のうちどちらを選ぶかは、くじによって決められました。その結果マテイアが選ばれて、十一人に加えられました。こうして聖霊が降るのを待ち、宣教へと派遣されようとしている弟子たちの側の準備が整えられていきました。あせらず、祈りに集中し、神が動き出されるのを待つ弟子たちの集団の上に、やがて約束の聖霊が降るのです。神は祈りつつ待つ者にふさわしい賜物を与えてくださいます。わたしたちの教会は今なすべき務めを誠実に果たしつつ、神が新しく動き出される時を、祈りをもって待つものでありたいと願います。